ローマ 5章1~2節 神との間の平和

2023年1月20日

(内容)

  • 信仰によって義とされた者は、私たちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ている。

(黙想)

  • 神との間に平和を得ているとはどういうことか。5章10~11節には神との和解という言葉がある。つまり義とされた者は、神との和解を受け、神との交わりの中に生きることが許される。
  • 「人間の不信心と不義に対して神は天から怒りを現されます」(1:18)とあった。キリストを信じる人は、神の天からの怒りを受けることがなくなったので、安心して生きることができるようになった。罪を犯してしまった、どうしようとの不安はなくなった。神の赦しの中に置かれていることは大きな安心だ。
  • しかし罪を犯す可能性は以前と同じく残っている。罪の赦しを受けるだけでは、私は何も変わらない。赦しを受けることは感謝であるが、罪を犯す自分は変わりがない。
  • 「今の恵みに信仰によって導き入れられた」とある。この恵みとは何か。それは義とされた恵みである。これは罪が赦されたこと以上の恵みである。罪が赦されることと義とされることは同じではない。義とされることには積極的な意味がある。
  • 10~11節には、和解という言葉がある。信仰者は、神との和解を受け、神との交わりに生きることができるようにされた。神が御顔を私に向けてくださり、交わりへと招いて下さっている。神は私を愛して下さっている(8節)。
  • 神は私の存在を肯定し受け入れてくださる。神は私を神の子として下さり、神の子として取り扱ってくださる。これは義とされた恵みに他ならない。
  • 神の怒りを受けることがなくなったことは平安をもたらす。もし私たちが罪を犯す可能性が少なくなっていくとしたらどうだろう。これはさらなる平安をもたらすのではないか。神の子とされ、神の子とし生きていく、罪を克服して生きていく、神との交わりの中でそれが実現していく。これは大きな恵みであり、この恵みの中に私は置かれている。それゆえ大きな平安の中におかれている。
  • そして神が共におられること、神が導いてくださることを信じ、心の底にはいつも平安と喜びがある。そして共にいてくださる神を神をたたえて生きることができるようになる。このような祝福された状態が、神との平和を得ている状態である。信仰によって義とされた者は、この神との平和に生きることができる。ありがたい。感謝だ。
  • この平和は、イエス・キリストによって与えられるものである。主イエス・キリストが十字架の上で贖いの業を行ってくださったおかげである。
  • パウロが「キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさ」(フィリピ3:8)と語ったことを思わずにはおれない。このキリストから私の心に平和が流れてくる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>御子のおかげで神との間の平和を与えられている。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>自分がどのような平和を受け取っているのか、確認する。神との平和に生きていることの証しをする。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日のディボーションを感謝します。聖書を読み、自分がどのようにあなたとの平和の中にあるかを見直し、証しをしたいと思いました。またあなたとの平和に生きることを歌う讃美歌を見つけたいと思いました。導いてください。
☆与えられた導き
  • 神との間に平和を得ている恵みを確認する。
  • 神との間に平和に生きることを歌う讃美歌を見つける

 

 

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