2020年9月16日
(内容)
- パウロは、コリント教会の人たちが肉の人、ただの人であると指摘する。またパウロやアポロは神に仕える者でしかないことも告げる。最後にコリント教会の人たちは神の畑、神の建物であると指摘する。
(黙想)
- クリスチャンには二種類の人がいることが分かる。霊の人と肉の人。肉の人はただの人とも呼ばれ、その生き様はこの世の信仰持たない人と何ら変わりがない。名のみのクリスチャンである。 肉の人とは何か。キリストとの関係では乳飲み子で、固い食物を食べることはできないとされる。
- ヘブライ人への手紙5章12~14節でも、乳と固い食物について語られている。
ヘブル 5:12~14
実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。
ペトロ一 2:1~2
だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。
- ペトロの手紙は、霊の乳を慕い求めて成長するように進めている。
- パウロはコリント教会に対して、霊の人に対するように語ることができず、キリストとの関係では乳飲み子である人に対するように語った。これはいつのことかは不明である。コリントで伝道したときのことかも知れない。だれでも最初は乳飲み子であり、やがて成長する。
- コリント教会に争いがあると聞き、パウロはコリント教会がまだ幼い状況にあることを思わされた。
- 教会が乳を飲む状態にあるのか、固い食物を食べることができる状態にあるのか、見極める必要がある。そうしないと適切に食べ物を与えることができない。み言葉を語る者は、教会の状態を見極め、固い食物を与えることができるように教会を成長させることが大切となる。
- パウロは2章で信仰に成熟した人の間では「神の知恵を語る」と書いた。この手紙で、コリント教会に人たちにパウロは固い食物を与え、信仰の成熟へと導こうとしているように思う。具体的な問題を取り扱う中で、信仰に成熟した人の歩みを語る。
- アポロにしろパウロにしろ共に神に仕える者であって、指導者と仰ぐのはよいが、絶対的な指導者ではないことを覚えなければならない。大切なのは成長させてくださる神である。
- パウロはコリント教会の人たちは神の畑、神の建物だという。教会に属するとはどういうことかを考えさせる言葉である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御父>神は成長させてくださる方である。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>信仰者には霊の人と肉の人がいる。肉の人は信仰を持たない人と何ら変わりがない。
- <教え>信仰を導く指導者は大切であるが、彼らは神に仕える者であり、彼らの働きを通して神が教会を成長させてくださる。成長させてくださる神をあおぐことが大切である。
- <勧め>霊の人に成長すること。
- <教え>教会は神の畑であり、神の建物である。信仰者はここに属している。信仰者は教会の一員である。キリストの体の一部分である。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、パウロが霊の人と肉の人に信仰者を分類していることが心に残ります。キリストとの関係で乳飲み子の人には固い食物を与えることができません。
- 私は今ブログで聖書のメッセージを発信し、福音を証しすることに力を尽くしています。私が発信する相手は誰なのかを考えるべきです。聖書を読んで行く中で分かったことは、日本の教会はまだ乳飲み子の状態にあるということです。
- ですからキリストとの関係で乳飲み子の人がブログを読みます。私が書くことには固い食物もあります。固い食物は小さくし、やわらかくし、食べやすいようにすることが大切です。配慮が必要です。ていねいな説明に心がけるべきことを教えられました。今日ブログに書くことから、心がけることにします。
☆与えられた導き
- 配慮をもってブログを書く