第一コリント 16章1~12節 パウロの思い

2021年5月13日

(内容)

  • エルサレム教会のために献金を取っておくことの指示、そして今後のコリント教会訪問予定についてパウロは語っている。

(黙想)

  • パウロはエルサレム教会のための募金を彼が立てた教会に募っている。エルサレム教会は貧しいと聞かされている。エルサレム教会から福音が広まった。いわばエルサレム教会は親教会であり、この教会をパウロは大切にしており、献金で支えようとしている。
  • かつて阪神淡路大震災の時そして東日本大震災の時に、教会をあげて被災教会のために献金したことを思い出す。今はコロナ禍、困難を覚えている教会もあるかも知れない。
  • 次いでパウロはコリント訪問の願いを語る。パウロは第三次伝道旅行でエフェソにいると思われる。それでマケドニアを通ってコリントを訪問することを願っている。第二次伝道旅行でコリントに一年半滞在して、教会をつくった。コリント教会はその後、別の教師たちがやってきて、教会は混乱した。それでパウロはコリント教会宛にこの手紙を書いている。
  • そこで思う。教会は設立しても、だれが来てそこで教えるかによって教会は混乱に陥ることがあると。パウロが設立したガラテヤ教会でも、救われるためには割礼が必要だと教えるユダヤ人教師がやってきて教会は混乱した。そこで人は信仰によって義とされ、救われることをパウロはガラテヤ教会に手紙を書いて教えている。
  • 牧会者が交代しても教会が混乱することなく、むしろ引き続き信仰者たちの信仰が成長していけばすばらしいと思う。しかしパウロの例は、現実には教会が混乱することがあることを教えている。そこでパウロは教会のために祈り、手紙を書いて教え指導している。パウロはコリント二11章で次のように語っている。

コリント二11:28
このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。

  • 教会はキリストの体であるが、そこに集う人は年々変化している。それゆえ、事と次第によっては、教会は混乱することがある。伝道者はある意味、パウロのように心が安まる時はないといってよいのではないか。自分が転任した後、次の牧師によって教会がどのように変化したのか、それを語る牧師の話しを聞くと複雑な思いになることがある。
  • 9節で「わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいる」と書かれている。伝道は一筋縄ではいかないことも分かる。伝道は、伝道者の思い通りになる業ではない。
  • 宣教の業は、人間の業ではなく、主の業であり、私たちは「常に励む」ことが許されているだけである(コリント一15:58)。先人たちの働きを受け継ぎ、そして後から来る人に受け継いでもらうことになる。祈りなくしてなせる業ではない。それゆえ、どれほどできたか、ではなく、ただ忠実に励めばよいと教えられる。伝道の業は成果を求められるような業はなく、忠実に行うべき業であると思う。忠実であればよい。
  • アポロについての言及がある。使徒言行録18章34節以下によれば、アポロはエフェソに来て、イエスのことを熱心に語った。アポロは、すでにエフェソにいたプリスキラとアキラから神の道について正確に学んだ。そしてアポロはアカイア州(ギリシャ)に行くことを願い、コリントに行き、メシアはイエスであると伝道している。その後またエフェソに戻ったと思われる。
  • 今パウロはエフェソにおり、コリント教会宛に手紙を書いている。手紙のこの最後の部分で、テモテをコリントに遣わしたことを書いているが、アポロにもコリントに行くことを勧めたがアポロは断ったとある。アポロはなぜ断ったのかと思う。彼には彼の考え、あるいは神の導きがあったのかも知れない。
  • パウロの伝道旅行を描く映画を見てみたい気がする。でも映画は作り物。聖書を読んで思いめぐらしたい気持ちになる。自分なりにパウロの活動の年表を作ってみたいと思わされた。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>パウロの伝道を導く方。パウロは主が許してくださればとある。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>9節。伝道者の前には大きな可能性があるが、同時に妨げる力も働いている。
  • <模範>10節。パウロはテモテのことに心を砕いている。手紙を2通書いている。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日の聖書を読んで、パウロはどんな思いで伝道をしたのかということに思いが向きました。エフェソやコリントでは、長く滞在してキリストを宣べ伝えました。そして教会ができても、そこに別の人が教師としてやってくると教会が混乱し、パウロは手紙を書きます。キリスト教の初期の時代、教理が確立しているわけではなく、異なる教えが入ってくることがしばしばあり、パウロは手紙を書きます。この手紙のゆえに、キリストを信じる信仰はどういう信仰なのかが分かります。混乱は否定されるべきものではなく、そこから新しいものが生まれるという面もあります。
  • パウロは教会をつくり、その教会が混乱に陥ると手紙で教会を指導する働きをしています。パウロの働きには終わりがなく、彼は生涯キリストを宣べ伝え続けたと思います。それは順調な歩みとは限りませんでした。でも信仰者が誕生する喜びがあったと思いますし、苦しみばかりではありません。同労者と共に祈ることは喜びであったと思います。教えられることは忠実であることの大切さです。そして私も神さまに忠実であることを目指して今日まで歩んできました。
  • 今日は、パウロがどんな思いで伝道したのか、パウロの気持ちを辿ってみたいとの思いになりました。時間を見つけて、思いめぐらしたいと思います。しかし今日は『パウロ』(青野太潮、岩波新書)の「パウロの生涯」の部分を読んでみたいと思います。
☆与えられた導き
  • 『パウロ』(青野太潮、岩波新書)を読む

 

 

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