2021年12月22日
(内容)
- 独り子である神は、私たちに神を示された。
(黙想)
- 独り子は私たちに神をどのように示されたのか。神をどのような方であると示されたのか、受けとめたい。
- 3章16節はこう語る。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。
- 神は、世を愛された。つまり世にいる人たちを愛された。この世にいる一人一人を愛されるお方である。さらにいえば、神は私たちが滅びることなく、永遠の命を得ることを願う方である。永遠の命を得るようにと独り子を遣わした方である。
- 6章40節でイエスはこう語る。
「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである」。
- 永遠の命を私たちはいつ得るのか。独り子を信じている今か、それとも復活した後か。独り子を信じている今、永遠の命を与えられ、この命に生きている。
「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている」(6章47節)。
- 独り子を信じる者は永遠の命を得て、永遠の命に生きるのである。御子を信じない者は、永遠の命を持っておらず、滅びに向かう歩みをしている。しかし独り子を信じる者は、永遠の命に生きており、滅びることはない。
- 独り子を信じる者は、生き方が変えられる。それは永遠の命に生かされるからである。神とは、私たちが永遠の命を得て、永遠の命に生きることを願う方である。
- また父なる神は、愛する方である。御子を愛し(3:35、5:20、10:17、17:24)世の人々を愛し(3:16)、イエスを信じる者を愛する(14:21、14:23、16:27、17:23)。
- 神は裁く方である。ただし、裁きは御子にゆだねている(5:22、27)。御子を信じる者は裁かれないが、御子を信じない者は、裁かれ、滅びる。御子を信じない者は、世にあって既に裁かれている。神からの祝福のない生活、それは裁かれているに等しい。そして地上の生涯を終えた後、滅びに入る。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>御子は私たちに神を示された方
- <御父>私たちに永遠の命を与える方
- <御父>私たちを愛する方
- <御父>人間を裁く方
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、今日も聖書を読むことができ感謝します。イエス様はわたしたちにあなたを示してくださいました。このヨハネ福音書を通して、あなたは私たちに永遠の命を与えてくださり、永遠の命に生きるように導いてくださいます。それは言い換えると愛に生きると言うことですね。あなたは私を愛してくださり、御子を通して光の中を歩むことができるように導いてくださいました。この救いを感謝します。
- 天の父よ、しかしイエス様を信じないで、その魂が暗闇の中を歩んでいる人たちが沢山います。魂が暗闇の中にあると言っても、みじめで悩み多く下を向いて生きているわけではありません。幸福を求めて元気に生きているのです。聖書が語るように肉の欲、目の欲、生活のおごりに生きていれば、それなりの満足があります。だから魂が暗闇の中にあることに気づいていません。何を信じるのかは人それぞれの自由です。
- 身近な者の救いのために、祈り続けます。根気よく祈り続けます。
☆与えられた導き
- 身近な者の救いのために祈り続ける