ローマ 2章4節 悔い改めに導く神の憐れみ

2022年8月1日

(内容)

  • 神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか、とパウロは問いかける。

(黙想)

  • まだ行ったことのないローマ教会宛の手紙で、「軽んじるのですか」と強い口調でパウロは語っていることを思う。
  • 悔い改めには二つの面がある。4節には、神の憐れみが私たちを悔い改めに導くとある。また5節では、私たちが心を頑なにせず、心を改めようとすることが悔い改めには必要なことが分かる。
  • 「悔い改め」とは何か。神を第一とする生き方に生き方を転換すること。神に立ち帰ること、罪から離れること。神に信頼して、神によって生きる人になること。
  • イエスは、律法は神を愛すること、自分を愛するように隣人を愛することに尽きると言われた。それゆえ、罪の第一は神を愛さないこと、罪の第二は隣人を愛さないこと。そして神を愛さないと、隣人を愛さなくなると言える。神を愛する者は隣人を愛する努力をする。
  • 人を裁くとは、隣人に対する罪である。人が他者を裁くのは、自分の存在を肯定的に受けとめたい思いがある。あるいは優越感に浸って自己満足する思いがある。神の愛を知らない者は、自分の努力で何とか自分を肯定しようとする。人を裁けば、その人との間に隔ての壁を造ることになる。
  • 「神の憐れみがあなたを悔い改めに導く」とある。人は神が憐れみ深い方であることを知ることが大切となる。神の憐れみの背後には、私たちへの慈愛、寛容、忍耐がある。
  • 旧約聖書には、悔い改めない人が繰り返し登場する。弟アベルを殺したカイン。彼は心を頑なにした。とって食べてはいけないと言われた木の実を食べたアダムとエバ。神が近づくと彼らは怖くなって神を避けた。エジプトを脱出して約束の地を目指すイスラエルの民は、困難が起きるたびに、助けてくれた神に信頼することをせず、不信仰を繰り返し、悔い改めることはしなかった。預言書を見ると、預言者は繰り返し、イスラエルの民に悔い改めを説いている。
  • 人はなぜ悔い改めるのを拒むのか。悔い改める時、自分の行動、自分の考え方、自分の価値観、自分の生き方が間違っていたことを認めなければならない。これはプライドがあるとなかなかできない。
    あるいは、次は失敗しないようにと自分の努力で罪を犯さないように努力する。それは失敗に終わるが、自分の努力にこだわり続ける。みじめな自分を認めたくないのである。別な人は悔い改めることや罪に対する神の怒りを真剣に受けとめない。
  • 人が悔い改めて自分に幻滅する時、その自分を支えるものがある。神の憐れみである。罪を悔いる時、人は「生きてもいいよ。大丈夫だよ」との支えを必要とする。それだけではない、同じ罪を繰り返さないように、自分を変えてくれるものがなければならない。同じ罪を繰り返してしまうなら、悔い改めることに意味はない。人を生まれ変わらせる神の力を知らなければ、人はなかなか悔い改めることはできないのではないか。神の憐れみは、救い主を与えることに現れている。そこに神の慈愛、寛容、忍耐を見ることができる。
  • 御子を救い主として世に送られた神は、罪を悔い改める者に罪からの再生、新しく生まれて生きる救いの道を開かれた。これを知らなければ、人はなかなか悔い改めないかも知れない。
  • あるいは罪を犯した自分の惨めさに突き落とされても、救いを知らなければ絶望するだけである。
  • 福音を知らされている私たちは、悔い改めることが大切だ。神の憐れみは、私たち罪を犯す人間を再生させることを知ることが大切だ。
  • しかしクリスチャンの中には、真に悔い改めをせず、罪を犯しても赦していただけることにとどまっている人が少なくない。罪を犯す者を再生させる神の救いを知らないか、知っても信じないのか。
  • 自分の罪を思い知らされたことがある。洗礼を受けるまでの時は、この罪のさばきから私を救ってくれるために十字架につかれたことを思い起こし、洗礼への決断に至った。また牧師になってから罪を思い知らされた時は、素直に悔い改めの祈りをして、赦しを感謝した。救いが提供されているから悔い改めることができると思う。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>私たちを悔い改めに導くかた。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>心をかたくなにせず、悔い改めること。新しい生き方を選ぶこと。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日は「悔い改め」について、考えさせられました。私自身は、あなたの導きで罪を思い知らされ、洗礼に導かれ、また悔い改めて自分の生き方を正すことができて感謝したことを思い出しました。
  • 悔い改めが必要な自分に直面するのを人は嫌うことを思います。悔い改めの代わりに、別な道を選びます。自分のみじめさを認めず、さらに頑張り、自分は正しく行動できることを証明しようとします。結局は失敗に終わります。やがて失敗に終わることを知ると、自分の罪の赦しを求めます。そこにとどまってしまい、罪を犯しては赦しを求めることの繰り返しの生活になってしまいます。
  • あなたの憐れみが、罪人を再生させること、キリストと共に死に、キリストと共に生きる福音を知ることの大切さを思います。
  • 私もこの4節で説教をしてみたいと思いました。今日はこの4節の言葉がどのように説教されているのか知りたいと思いました。ロマ書の説教集から読んでみたいと思います。K牧師、T牧師、Y牧師、ルターのロマ書講義を読んでみたいと思います。
☆与えられた導き
  • この箇所の説教を読んでみる。この節をどのように説き明かししているのか参考にする。

 

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