2023年5月26日
(内容)
- 恵みが増すために罪の中に留まるろうという主張に対して、キリスト者は罪の中に留まることができないと答える。
(黙想)
- 洗礼を受けてキリストに結ばれた者には霊的な変化が起きることがわかる。
- キリスト者は「新しい命に生きる」(4節)。「キリストと共に生きる」(8節)。「神に対して生きている」(11節)。「罪の奴隷とならず」(6節)、「罪から解放されている」(7節)。
- これらの言葉は、罪の赦しの恵みを得るために罪の中に留まろうという主張が信仰の道筋から外れていることを示す。キリストを信じ、信仰によって義とされた者は、新たに開かれた道に進むことを示している。
- 少なくとも、キリストと共に生きる、神に対して生きるという道を進もうとする。さらには罪から解放されている者としての歩みをすることになる。
- 僕が牧師として経験してきたことは、罪を犯しても赦しを得られることで満足するというか、赦しを与えられていることに安心して、新しい命に生きようとする人が少ない現実である。この現実は罪の中に留まっていることに等しいと思うが、そう主張する人は少ない。罪の赦しこそ福音という福音理解が支配的なのである。これは福音の恵みの豊かさを狭めている。これを正すことは僕の願いでもあった。
- 洗礼を受けキリストに結ばれたら何が起きるのか、それを知ることは大切だ。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>洗礼を受けキリストに結ばれた者には、新しい歩みが始まる。「新しい命に生きる」「キリストと共に生きる」「神に対して生きる」などの言葉を受けとめることが大切。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、ロマ書のこの段落は本当に大切な箇所です。1節1節をていねいに味わいたいと思いました。今日は、この段落が全体として何を主張しているのかを考えました。
- 信仰者にとって罪の中にとどまることはありえない、と教えています。信仰によって義とされることは、さらなる展開があることを知ります。罪から解放されて、新しい命に生きる道が開かれます。
- 私自身、この道を歩んでこれたことをあなたの導きと感謝する者です。この段落の主張をブログで語りたいと思います。1節、1節ていねいにデボーションをしたいと思いました。デボーションへの導きを祈ります。
☆与えられた導き
- デボーションへの導きを祈り、この段落をていねいにデボーションする。