2024年10月31日
(内容)
- 神は前もって知っておられた者たちを御子の似姿にしようと定められた。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、彼らを義とし、栄光を与えられた。
(黙想)
- パウロは3:23で人は皆罪を犯し、神の栄光を受けられなくなったと語る。5:2では、義とされた者は神との間に平和を得ており、神の栄光にあずかる希望を誇りにしていると語る。今日の箇所では、神は、義とした者に栄光を与えるという。その栄光は御子の似姿になるという栄光である。
- 同時にパウロは、義とされた者は、罪に定められることはないと語る(8:1、33-34)。キリスト者とは、御子の似姿になることを目指す者であるので、罪に定めらられることはないと読むことができる。
- 29~30節は、18節から始まる段落の最後のくとなっている。18節では、現在の苦しみは将来現される栄光と比べると取りに足りないとある。将来現される栄光とは、御子の似姿になることである。現在の苦しみも、この目的のために益となるように働くのである。このために聖霊も執り成しの祈りをしてくださるのである。
- キリスト者の栄光、将来現される栄光とは、御子の似姿になるという栄光である。これについてはフィリピの信徒への手紙でも語られている。
フィリピ 3:20~21
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
- これこそキリスト者が目指すものである。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
<御父>前もって知っておられた者を御子の姿に似た者にしようと定めた方。
<御父>あらかじめ定めた者を召し出し、義とし、栄光を与えられた。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>御子の似姿になることがキリスト者に対する神の目的と知ること。
- <教え>現在の苦しみも、用いられて、キリスト者が神の似姿になることにつながる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。二つのことを思います。キリスト者は御子の似姿になることに究極の目的があり、それがキリスト者の栄光であると聖書は語ります。このことは人間についての真理であると聖書は語ります。悪魔は、神はいない、そんなものは嘘だと語ります。これをどう判断するのか、です。神はいないのか、本当の神がおられ、人が御子の似姿になることを望んでおられるのか。どちらを選択するのか、私は問われています。長年心の隅に抱いてきた疑問、神は本当におられるのか、との疑問、これに決着がつきそうに思えます。
- 人間の生きる目的は、御子の似姿になることです。これを真理とするか、妄想であるとするのか、問われる思いがします。そして私は、これは真理とし、これは神から出たものであると信じます。そして悪魔が持ってきた、懐疑、疑いを捨てることができるのではないかと思います。さらに8章のデボーションを続けます。
- 第二は、御子の似姿になるということです。具体的にこれはどういうことか、大きな問いです。ただ今、私が生きているこの世界の現状を見る時、至るところで人間の罪が渦巻いていることを思います。そして争い、対立が生まれ、平和が失われ、辛い思いをしている人たちがいます。この人間の罪のために御子イエスは人となり、自分の命を犠牲にされました。人間の罪に悲観するのではなく、主イエスは、人間を罪から救うためにいのちを犠牲にしました。とすれば、私たち人間は福音を宣べ伝えることに心を注がなければならないことを思います。福音は罪から人を救うものであること、人を愛に生きるものとすること、人を平和を生み出すように導くこと。私は福音を宣べ伝える働きからは退きました。福音が宣べ伝えられることを祈り続けます。
- そしてあなたは、人間を罪を犯すに任せられ、人間が悔い改めるのを忍耐をもって待っておられることと考えます。私も焦らず、忍耐をもって祈り続けたいと思います。
- そして神の国を来たらせたまえと祈ります。
☆与えられた導き
- 福音が世界中に宣べ伝えられるように祈り続ける