ルカ福音書 9章37~43節 信仰のないよこしまな時代

2025年7月14日

(内容)

  • イエスは不満を述べる。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか」と。

(黙想)

  • この「悪霊に憑かれた子をいやす」話しは、マタイ、マルコにもある。伝えようとするメッセージは、同じではない。
  • マタイ福音書では、弟子たちは、自分たちがなぜ悪霊を追い出すことができなかったのか、イエスに尋ねている。それに対してイエスは「信仰が薄い」からだと語る。
  • マルコ福音書では、悪霊に憑かれた子をもつ親がイエスに、「おできになるなら私どもを憐れんでお助けください」とイエスに言う。するとイエスは、「できればというのか」と反応すると、その親は「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と語る。そしてイエスは悪霊を追い出す。弟子たちはなぜ、自分たちが追い出すことができなかったのかとイエスに尋ねる。するとイエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことができない」と答える。ルカは弟子たちが悪霊を追い出せなかった理由について触れない。
  • ルカ福音書では、イエスが悪霊を追い出したことで、人々は皆、神の偉大さに心を打たれたとある。
  • イエスは、不満を語っている。「何と信仰のない時代、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れてきなさい」。
  • これは誰に向けられた言葉なのか。弟子たちに向けられた言葉か。悪霊に憑かれた子を持つ親か。イエスの言葉の中に「あなたがた」と「あなた」とある。「あなた」は、明らかに悪霊に憑かれた子を持つ親である。「あなたがた」は、弟子たちか、それともこの時代の人々を指すのか。
  • イエスは、「この霊を追い出して下さるようにお弟子たちに頼みましたができませんでした」との親の言葉に対して、この不満の言葉を語っている。直接的には親に向かって語っている。
  • イエスは「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか」と言った。これは弟子たちや親に向けての言葉ではない。イエスが生きている、今、それは信仰のないよこしまな時代だと言っている。
  • この歴史において、どの時代も信仰のないよこしまな時代と言うことができる。イエスはなぜ、このような言葉を語ったのか。イエスの不満げな言葉である。
  • 「いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか」。悪霊を追い出すことのできなかった弟子たちに対する言葉か。
  • ルカ福音書は、イエスが悪霊に憑かれた子供から悪霊を追い出し、それを見た人々が神の偉大さを賛美したと書く。イエスは、苦しみを受けて殺されるが、メシアとしての働きをしていることを明確に伝えようとしている。
  • 文脈を見る。9章21~27節でイエスは受難を予告する。28~30節で、「これに聞け」と神は弟子たちに言う。43~45節で主イエスは苦難の予告をする。このような文脈の中に今日の箇所はある。ルカはイエスのメシアとしての働きを明確に示している。
  • イエスの不満は、同時代の人たちがメシアを受け入れないことへの批判の言葉か。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>悪霊に憑かれた子から悪霊を追い出し、神の大いなる御業を行う方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>私たちも神の大いなることを賛美してよい。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。
  • 人々はイエスによって示されたあなたの御業を見て、心を打たれたとあります。人の目を引く、癒やしの出来事、奇跡の出来事です。
  • 現実の世界に目を向けると、人間の罪が目立ちます。政治家、権力者は戦争を行い、命を軽んじています。平和を求めて祈っても、平和に向かう兆しが見えず、あなたの偉大さをほめたたえる気持には導かれません。あなたは何をしているのかという疑問が心の中にいつもあります。あなたは生きている神であると信じます。あなたはイエス・キリストをお遣わしになり、人類が平和を実現する道筋を示されました。平和を実現できないのは、人間の責任だと言われるのでしょうか。それはそのとおりです。でも罪に支配された人間は、他者と和解するより、自分の力によって自分の思い通りにしようと動きます。信仰のない、よこしまな時代です。
  • 今ふと思いました。自分はどちらに立つのか。罪に支配された人間が横行するこの世界にあって、神は何をしているのかと神を批判する立場に立つのか、人間の罪の現実を重荷として背負い、イエス・キリストに従い、人間を罪から救うことに徹する立場に立つのか。後者の立場に立つように教えられたような気がします。
  • 罪の世界のあって、苦しんでいる人たちのことを覚えて祈るようにしたいと思います。ウクライナや、ガザのパレスチナの人たちを覚えて今日は祈ります。自分はどちらに立つのか、考え続けます。
☆与えられた導き
  • ウクライナとガザにいるパレスチナの人たちのために祈る。

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