ルカ福音書 23章44~49節

2019年4月25日

(内容)

  • イエス様が十字架の上で「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言って亡くなる場面である。

(黙想)

  • イエス様が十字架で亡くなる場面のルカの描き方は、マルコとマタイとは異なる。マタイ、マルコでは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになるのですか」とイエス様は叫んでいるが、この叫びはルカにはない。ルカは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」とイエス様の言葉を書くが、これはマタイ、マルコにはない。
  • ルカの描くイエスは、十字架の上で平安のうちに亡くなっているように見える。十字架につけられる時も、自分を十字架につける者たちのためにとりなしの祈りをしている。マタイ、マルコでは、神に見捨てられて死ぬイエスを描いている。
  • さらに百人隊長の言葉も違う。ルカでは「この人は正しい人だった」との告白。マタイ、マルコでは「この人は神の子だった」。マタイ、マルコでは、イエス様は神に見捨てられる死を遂げ、百人隊長は、「この人は神の子だった」と告白している。イエス様が神の子として罪のあがないのために亡くなられたと十字架の死の意義を書いている。
  • ルカでは、イエス様は神に従順に歩み、平安のうちに亡くなったこと、犯罪者として処刑されたが、百人隊長は「この人は正しい人だった」と告白し、イエス様は、迫害の死を遂げたと描いているように思える。
  • 百人隊長は「この人は正しい人だった」と語り、神を賛美したとある。普通に考えると理解しがたい言葉である。信仰をもっていない彼が神を賛美するなんて。迫害の死を遂げるイエスを見て、イエスの信じる神を賛美したのか。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)46節。御子イエスは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と叫んで息を引き取られた方。
☆神が私たちに求める生き方
  • (模範)46節。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と語って亡くなる死に方はいいと思う。死の床についた時は、このように祈りたいと思う。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、私が亡くなる時、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と祈って亡くなりたいと願います。信仰者としての自覚を持って召されたいと願います。この祈り、聞き届けてください。
  • 今日の聖書を読んで、ルカの描く十字架の場面はマタイ、ルカと違います。ルカの十字架理解について、はっきりさせたいと思いました。以前にも勉強しましたが、今一度確認したいと思いました。心当たりの本を見たいと思います。
☆与えられた導き
  • 自分が召される時、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と祈ることができるように神に求める。日々の祈りにこれを追加する。
  • ルカの十字架理解について、2,3の本で確認する。

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