2019年7月24日
(内容)
- イエスは、ご自身に対する証しについて語られる。その証しを信じてイエスを信じる者は命を得ることができる。
(黙想)
- イエスが神から遣わされたことに関する証しにはいくつかある。イエス自身が自分についてする証し、洗礼者ヨハネのイエスに対する証し、イエスの行う業の証し、父の直接的な証し、聖書の証し。証しを聞いてイエスが父から遣わされた方であることを信じる者は命を得る。
(1)イエスが自分について行う証しについて
- 31節でイエスは「もしわたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない」と語る。
- しかし8章でファリサイ派の人たちが「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない」と語るとき、イエスは「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である」と語っている。
- すでに5章19節以下でイエスは自分のことを「子」と語り、神を父と呼んでいる。そして「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、・・・」と語っている。イエスは自分が父から遣わされた者であることを自ら証ししている。
- 一見してイエスは矛盾していることを語っているように思える。一般論として自分について自分が証しすることは信用できるとは限らない。
- 「私は無実である」と被告が自分について語ったとしても信用されるとは限らない。イエスがなさる「わたしは~である」との証し。宣言は、むしろ信じてよいし、信ずべきである。イエスご自身は神の啓示そのものである。
(2)イエスの行う業による証し
- イエスが行う奇跡(しるし)はイエスが父から遣わされた子であることを証しをしている。父から遣わされずに、奇跡(しるし)は行えない。
(3)聖書による証し
- 39節。「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」。この場合の聖書は旧約聖書。
- 20章31節では、「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」とあり、ヨハネ福音書全体が、イエスを証しするものである。
(4)さらに
- 34節「わたしは、人間による証しは受けない」とある。
- ヨハネの手紙一5:9に「わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです」。イエスが活動しているとき、人間の証しよりも神の証しを重要視するイエスの思いを34節は現しているのではないか。
- 「この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです」(ヨハネ一1:2)
- 「わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています」(ヨハネ一4:14)。
- ヨハネの手紙は、イエスが神の御子、世の救い主であることを証ししている。人間の証である。人間の証しは福音宣教には欠かせない。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)イエスは神から遣わされた方であり、神の子である。このことは洗礼者ヨハネが証しをし、イエスの行った業が証しをし、イエスが語った言葉も証しをし、聖書が証しをし、聖霊も証しをしている。
☆神が私たちに求める生き方
- (勧め)イエスを信じること。イエスを証しすること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読み、思いめぐらすことができ感謝します。今日の聖書はイエス様に関する証しがテーマとなっていました。私たちはイエス様を証しするものとして聖書を読み、また聖書に基づく説教を通してイエス様の証しを聞いています。そして私たちは信仰に導かれ、またキリスト者として歩んでいます。
- イエス様を証ししよう、ということはよく語られます。でもその割には、その証しを聞くことはありません。そこで思いました。イエス様は私にとってどういう救い主なのか、証しをしてみたいと思います。そのことが、他の人たちがイエス様の証しをすることの手助けとなればと思います。これまでの歩みを振り返り、私とイエス様とのかかわりを何回かに分けてブログに書いてみたいと思います。
☆与えられた導き
- イエス様についての証しをブログに書く。