2019年11月14日
(内容)
- イエスは羊飼いと羊のたとえをファリサイ派の人々に話された。しかし彼らはこのたとえの意味を理解することはできなかった。
(黙想)
- このたとえは、ファリサイ派の人々とは何の関係もないと思われる。彼らが羊飼いであるとか、羊であるとか、そういうことではないと思われる。
- 詩編23編は神は羊飼いであり、人は神なる羊飼いに養われる羊であると語っている。旧約聖書には、神は羊飼い、イスラエルの民は飼われる羊とのたとえがある。イエスはそのことを念頭に置いて、自分は羊飼いであることを語ったと思われる。
- イエスと私の関係を羊飼いと羊の関係で考えることが勧められる。そう考えなければ、私とイエスの関係は正しくない。
- 羊は羊飼いの声を聞き分ける。羊は羊飼いに従っていく。羊飼いは先頭に立って進んでいき、羊はその後を従う。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)イエスは私たちの羊飼いである。
- (御子)羊飼いは羊の群れの先頭に立って進んでいく方。
☆神が私たちに求める生き方
- (勧め)羊飼いなるイエスの声を聞き分けること。
- (勧め)羊飼いなるイエスの声に聞き従うこと。
- (教え)羊飼い以外の声に聞き従うことはしない。
- (教え)私とイエスとの関係は羊と羊飼いの関係である。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、私は羊であり、羊飼いはイエス様です。イエス様は私の前を歩いておられます。私は聖書を読み、神さまの御心、イエスの御心を知る努力をしていますが、今日の聖書を読んで、イエス様はどこへ向かっておられるのかと思いました。私をどこへ導こうとされているのかと思いました。聖書を読み、イエス様に従っているつもりでも、もしかして自分は羊飼いであるイエス様とは別の方向に進んでいるのではないか、そんな思いを与えられました。
- 牧師を引退し、隠居の生活をしているわけですが、それでも、そんな私を羊飼いであるイエス様はどこへ連れて行こうとされているのか、知りたいです。そのずっと先には、神の国があると信じますが、今、私はどこに向かって、何をするようにイエス様は求めておられるのか、神さま、教えてください。このことを求めてしばらく祈り続けたいと思います。
☆与えられた導き
- わたしの前を歩いて行かれる主イエスがどこへ向かっているのか、私をどこへ導こうとされているのか、教えてくださいと祈り続ける。