2019年11月26日
(内容)
- イエスとユダヤ人たちとの最後の論争の場面。ユダヤ人たちはイエスを神を冒とくしていると非難する。ユダヤ人にとって神は唯一である。
(黙想)
- ここでイエスが語られた言葉は、わかりにくい。引用した詩篇の言葉「わたしは言う。あなたたちは神々であるとかいてあるではないか」も、わかりにくい。詩編の文脈では、権力者たちが弱い者を搾取し抑圧する傲慢な様を「あなたたちは神々なのか」と書いている。イエスは詩編の文脈を無視し、ただ言葉として引用している。
- ユダヤ人たちは、自分の立場に固執し、イエスを受け入れることができず、イエスを神を冒とくしているとして殺そうとした。キリスト教とユダヤ教は、決定的に違う。イエス・キリストを救い主としてこの世に神が送ったのか、送らないのか、その受入で異なる。
- 今日の聖書の最後の場面で多くの人がイエスを信じたと書かれている。
- イエスは、「父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいる」と語る。父とイエスが一つであることが語られている。これを信じることがイエスを信じることである。
- 父なる神から遣わされたイエスは、父から聞いたことを語り、父のもとで見た業を行った。父なる神の御心に従う歩みをされた。服従における一致。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
(御子)38節。御子であるイエスは、父なる神と一つである。父なる神、イエスはそれぞれ独立した存在であるが、一つ。言い換えると深い交わりの中にある。交わりにおける一致。父と子という関係の中にある一致。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日の聖書はわかりにくかったです。印象に残ったのは、イエス様とあなたが一つであることです。あなたとイエス様はそれぞれ独立した人格ですがひとつです。人格としては対等ですが、神は父、イエス様は子として立場は違います。しかし一つです。
- この10章では、イエス様が羊飼いで、私は養われる羊であること、私とイエス様の関係は、羊と羊飼いの関係であることを教えられました。羊飼いは羊の先頭に立って歩き、羊は羊飼いについて行くことを教えられました。
- 私は隠退牧師。ある意味で役割を終えた者です。しかし日々の生活があり、信仰をもって歩みます。私は生活するために生きているのではなく、生きているから生活をします。羊飼いでいるイエス様についていく者です。イエス様は私をどこへ導かれるのでしょうか。今日はどんなところを通るのでしょうか。
- 今日もこうして聖書に親しみ、イエス様が連れて行ってくださった牧場で御言葉の糧を得ることができたのですね。感謝します。少なくとも、日々、イエス様が連れて行ってくださる牧場で御言葉の糧を得ることをこれからも大切にしたいと思います。
- 今日は、命のみ言葉を与えてくだあるイエス様を賛美することにします。命のみ言葉を与えてくださることを歌う讃美歌で賛美します。讃美歌187番、讃美歌21の57番。
☆与えられた導き
- 御言葉を与えてくださる神さまを賛美する。