第一テサロニケ 1章5~7節

2020年6月30日

(内容)

  • パウロたちがテサロニケで福音を宣べ伝えたとき、それは力と聖霊と強い確信とによった。そしてテサロニケの人たちは、ひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れた。さらにマケドニア、アカイア州にいるすべての信者の模範となった。

(黙想)

  • パウロたちが福音を伝えたとき、それは言葉だけではなく力と聖霊と強い確信とによった。これはどういうことか。これは受け取る側のことではなく、伝える側のことである。福音を伝えたとき、そこには聖霊の導きがあった。そして語る者の福音に対する強い確信があった。語る者は力強く語った。福音を伝える者のあり方を教えられる。伝道者は日頃聖霊に導かれている。そして福音に対する確信を持ち、語るときは力強く語る。福音に対して確信を持つのは、福音を生きてこそ与えられるものである。福音宣教は、福音についての知識の伝達ではない。自分が生きている福音の伝達である。福音が自分を生かしているとの感謝や喜びがある。だから力強く、確信を持って語ることができる。そしてそれは聖霊の導きに他ならない。
  • 次は聞く側。テサロニケの人たちは、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れたとある。福音を喜びをもって聞く、受け入れる、それは聖霊の働きである。
  • そしてテサロニケの人たちはパウロたちに倣う者となり、主に倣う者となり、ギリシャにいるすべての信者の模範になったという。これは驚きだ。福音を受け入れて短期間にそのような変化が起きるのは驚きである。「倣う」という時、具体的に何を倣うようになったのか。9節を見れば、神に仕えることか。
  • 異教徒であった者たちが福音を受けれ、異教の神々を捨てて神に仕えるようになったのである。この変化は具体的には9節以降に書かれているが、そこには聖霊の働きがあった。聖霊の働きにより、喜びをもって御言葉を受け入れたのである。
  • 未信者の聞く者たちが聖霊の導きを祈ったとは思えない。語る者たちの祈りがあったにちがいない。福音宣教が成功するように聖霊の導きを求める切なる祈りが語る側にあった。そして語る者たちには、福音に対する確信があった。何よりも彼らは福音に生きていた。だから、確信を持って力強く語ることができた。それは聖霊の導きであり、聖霊の導きを祈って語った結果である。
  • 説教者のために祈る時、彼らが、自分が語る福音に生きることを祈ることが大切と教えられる。自分が生きることから確信が生まれ、力強く確信を持って語ることが出来るようになる。自分が説教者なら、福音を生きることを課題としなければならない。
  • そして聞き手が聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れるように祈ることも大切だ。そして福音を聞いた者が福音に生きるようになれば、それは他の信者たちの模範になる。福音が本当に聞かれるとき、聞き手の信者が、他者の模範になることを期待してよい。福音にはそれだけの力がある。
  • テサロニケの人たちは、彼らのもとでパウロたちがどのように働いたのかを承知している。どんな風に働いていたのだろうか。それは2章に書かれている。テサロニケの人たちはひどい苦しみの中で御言葉を受け入れたとある。ひどい苦しみとは何か。使徒言行録17章にテサロニケ伝道のことが書かれている。ユダヤ人たちのひどい伝道の妨害や信じた者たちへの迫害があった。どんな迫害も福音が宣べ伝えられ、信じられるのを妨げることはできない。それだけ人を救い、生かす力があるということ。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方
  • <聖霊>聖霊は、聞き手が喜びをもって福音を受け入れるように導く。
  • <聖霊>聖霊は、語り手が確信をもって力強く福音を語るように導く。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>福音は信じる者の生き方を変える。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日は福音宣教に関わることを教えられました。説教者たちが福音を語ることができるように執り成しの祈りはしていましたが。彼らが福音に生き、確信をもって語るようにと一歩踏み込んで執り成すべきことを教えられました。
  • そして聞き手が聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れるように執り成すべきことも教えられました。感謝します。
  • なお私自身聖書を読み思いめぐらすとき、聖霊の導きを受けるように祈ります。
☆与えられた導き
  • 説教者と説教の聞き手のための執り成しの祈りについて教えられたように祈る。
  • 喜びと確信を与えられて聖書を思いめぐらすことができるように祈る。

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