第一コリント 11章17~22節 パウロの教会理解

2020年12月16日

(内容)

  • 聖餐のために集うコリント教会の集会について。その集いは聖餐にふさわしくないとパウロは苦言を語っている。

(黙想)

  • 当時はまだ教会堂はなかったと思われる。集会は個人の家で行われる。コリント教会では、平日に集い、聖餐にあずかっていたらしい。おそらく裕福な人たちは早めに集い、そこで夕食を食べた。なかには酔っている者もいたようである。貧しい人たちは仕事を終わって集うので教会に来るのは遅くなる。なかには夕食を取ることなく空腹のまま集う人もいたらしい。あるいは貧しい人が夕食を食べるとすれば、食事の内容は貧しく、それを見られることを恥ずかしく思ったかもしれない。
  • 夕食後に聖餐にあずかるのは、イエスが弟子たちと過ごした最後の晩餐と同じである。コリント教会では夕食を済ませて満腹になっている富める人たち、なかには酔っている人たちがおり、貧しく恥ずかしさを覚えている人たちがいる。そんな雰囲気の中で主の聖餐を味わうことはできないだろうとパウロは指摘する。それは神の教会を見くびっていることになるのではないかとさえパウロは語る。
  • 神の教会とパウロは語るが、そもそも教会とは何か。集会のために集まる場所が教会なのか。学校は教育をするための場所、病院は治療を行うための場所。教会は礼拝(集会)をするための場所なのか。
  • 教会は場所を意味するがそれ以上のものである。パウロは教会をキリストの体と理解した(12:27)。なぜそのように理解できたのか、と考える。ユダヤ教会では安息日に会堂に集い、神への礼拝がささげられていた。当時のキリスト者が集まる場所は個人の家であり、会堂でもない。なのにパウロは、この集会を教会と呼び、キリストの体と理解する。どうしてそのような理解に至ったのか。
  • パウロは信仰は神との交わりであると考えている。「神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです」(コリント一1:9)。すると教会とはキリストとの交わりの場、となる。キリストとの交わりが行われる、それが教会なのである。教会はたんに儀式(礼拝)を行う場所ではない。そして教会は人間がつくるものというよりは神の教会なのである。そして教会はキリストの体であるとパウロは語る。信仰者はキリストを頭(かしら)としてキリストにつながり、各自がキリストとの交わりを保ちながら、キリストを頭とする信仰者の交わりを形成する。それが神の教会だとパウロは語る。
  • 聖餐を祝うために集まった人たちには仲間割れがあるという(18節)。1章には誰をリーダーとするかでコリント教会の中に争いがあったことが書かれている。でもこの箇所は、富める者たちと貧しい者たちとの間の不一致があったと告げているように思える。喜んで共に聖餐を祝う聖餐にはなっていなかったのである。それは神の教会を見くびっていることになるとパウロは語る。
  • キリストの死を告げる聖餐を祝う時、酔った者がおり、満腹した者がおり、お腹をすかせている者がいる状況では、キリストの死を告げる聖餐にはならない。教会とはそもそも何なのか、考えさせられる。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>聖餐を祝う時、それはふさわしい集いになっていなければならない。集う者たちは心を一つにしていなければならない。酔って聖餐の祝いに参加するのは論外ではないか。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、パウロは現実に起きている問題を根本から考えています。この箇所では、教会とは何かを考え、それをもとに聖餐を祝う集いを考え、コリント教会の現実がふさわしくないと判断しています。パウロは誰から教えられたわけでもなく、教会についての深い理解に達したことに驚きを覚えます。
  • 私たちは教会とは何かについて、教会が信じてきたことを学びます。使徒信条には、教会は「聖なる公同の教会」「聖徒の交わり」とあり、私たちはこれがどういう意味なのかを学び、教会を理解します。このような教会理解がどのようにして生まれたのか、その筋道を理解することは、教会が信じてきた教会理解を心から受け入れることにつながるのではないかと思います。知識としての教会理解を持つことは大切ですが、それだけでは信仰の力にならないように思います。パウロがどうして教会はキリストの体と理解するようになったのか、その道筋を終えることができたらと思いました。
  • パウロ自身が書いた手紙を読み、そこで教会がどのように描かれているかを理解したいと思います。さらには、パウロが教会をどのように考えるようになったのか、筋道を神学書によって追ってみたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
  • パウロの教会理解の筋道を追う

 

 

 

 

 

 

 

 

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