2021年6月23日
(内容)
- パウロは、神さまは私たちを通して、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださると語り、自分たちは神さまに遣わされた者であることを語っている。
(黙想)
- 14節からは新しい段落が始まっている。13節とのつながりはない。14節以降、パウロは自分たちは神から遣わされた者であることをおだやかに主張している。
- パウロは自分たちのことを、キリストによって神にささげられたよい香りと語る。あるいは、神は私たちを通していたるところにキリストを知るという知識の香りを漂わせてくださると語る。ひと言で言えば、パウロたちはキリストを宣べ伝えているということである。しかも「香り」という言葉があるように、パウロたちによってキリストが具体的に魂に迫るような形で伝わってくる。
- パウロがキリストを語るとき、そこには生き生きとした証しがあり、聞く者にキリストのことがよく伝わるということだと思う。このようにキリストを伝えることができたら、最高だと思う。
- 他方パウロは、キリストを宣べ伝えるにしても、それを売り物にしている人がいるという。神の言葉を売り物にするのである。キリストを宣べ伝える時に邪心がうごめくのである。要は自分のためにキリストを宣べ伝えている。牧師という務めを一種の職業として考えるなら、神の言葉を売り物にしていると言える。説教を通して、自分の名声を求めるなら、それも御言葉を売り物にしている。説教する目的が何らかの形で自分のためという面を持つなら、御言葉を売り物にしているのである。このような面をまったく持たない牧師はいない。いや多いとパウロは言う。
- 御言葉を売り物にする人に対してパウロは、神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っていると書く。そしてパウロは自分たちをキリストを知るという知識の香りを漂わせているとする。説教の務めに当たる者は、パウロのようでありたいと願う。
- 神に属する者、キリストに結ばれた者であることが重要となる。こうであってこそ、キリストを知る知識の香りを放つことができる。これはキリスト者のアイデンティティーをわきまえ、福音に生きることが必要となる。福音理解が大切である。
- 罪を犯し罪を赦され、また罪を犯し罪を赦されるということではキリストを知る知識の香りは放てないだろう。キリストは十字架で死にそして復活された。洗礼を受けたキリスト者はキリストに結ばれる。それゆえ、罪に打ち勝ち、罪から再生され、み言葉に従う歩みができる。こうであってこそ、キリストを知る知識の香りを放つことができるだろう。
- この香りは滅びる者にとっては死に至らせる香りなので、滅びる者はこの香りから身を背けるだろう。救われる者には命に至らせる香りである。救われる者とは求道者と言うことではないと思う。求道者であろうと信者であろうと、真にキリストに結ばれて生きることを願う者を指すと考える。そのような人にとっては、この香りは大いに励ましとなる。キリスト信者とは、この香りを放つ者のことである。
- 「神は私たちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ」とある。キリストを知る知識の香りを放つところ、キリストが宣べ伝えられ、信者を獲得していく。伝道を考えるなら、この香りを放つことを考えなければならない。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>神さまは、私たちを通してキリストを知る知識の香りを漂わせてくださる方である。神は私たちを用いて、漂わせる方である。
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>神の言葉を売り物にしてはならない。説教者にはさまざまな誘惑がある。自分のために説教をする誘惑があり、神の言葉を売り物にしてしまうことがある。
- <勧め>神に属する者、キリストに結ばれているというキリスト者のアイデンティティーに立つことが大切である。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日は大切なことを教えられました。今度の日曜日、説教奉仕の機会を与えられました。キリストを知る知識の香りを漂う説教となることを願います。原稿は書き上げましたが、昨日、ひらめきがあって書き直す必要を感じています。少しでもキリストを知る知識の香りを放つことができる説教ができるよう、さらに準備を導いてください。説教の目的として、キリストを知る知識の香りを放つ説教となるように、祈りつつ説教の推敲をしたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
- 祈りつつ説教原稿の推敲をする