2022年1月4日
(内容)
- パウロはコリント教会に来てコリント教会を惑わした偽使徒たちとの対決の姿勢をあらわにする。
(黙想)
- 偽使徒のおかげで教会が混乱に陥っているのを何とかしなければならないとのパウロの思いが現れている。
「あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです」(11:4)。
- コリント教会の信仰が崩れかかっている。また偽使徒たちはパウロたちを批判している。パウロはコリント教会から報酬を受けることなく、伝道をしている。偽使徒たちは、このことを取り上げ、パウロたちは真の使徒ではないと批判したのではないかと思う。
- そしてパウロはコリント教会に手紙を書き、コリント教会の人たちが目を覚まし、パウロが語った福音に立ち帰ることを願っている。そのことは「わたしは今していることを今後も続けるつもりです」(12節)の言葉に表されている。
- パウロは偽使徒たちはサタンに仕える者であると指摘する。キリストの福音を正しく伝えるのが使徒であり、教師の使命である。悪魔はそれを阻止しようとする。偽使徒たちはサタンに仕える者とパウロは指摘する。そしてパウロは偽使徒たちの働きが終わるように祈り続けると書く。
- サタンの働きは現代にあるのかどうか。僕はあると信じる。サタンの働きの一つは福音宣教を妨害することにある。サタンの巧みな働きは、福音宣教を完全に妨害することではなく、むしろ福音を余すところなく宣べ伝えることを妨げること、つまり福音をその一部しか宣べ伝えないように導くことである。聖書には、キリストが十字架において悪魔に勝利したと書かれているが、十字架における悪魔の勝利はあまり語られない。十字架について語られるとき、もっぱら罪の贖いについて語られ、福音とは罪の赦しであるとの理解が行き渡っている。それゆえ罪と戦うこと、聖なる者を目指すことはあまり語られない。私たちは罪を犯すが赦されている、これが福音として語られる。その場合キリスト者は実質的には罪の支配下にある。罪の支配からの解放の福音はあまり語られない。サタンの働きは強いと言うべきである。
- 由々しき問題であると思う。説教者が福音を余すところなく理解し、信仰に生きなければこの問題は解決しない。説教者だからといってサタンに仕えていないとは断言できない。自分は福音をどう理解しているのか、自己吟味が必要だ。福音が余すところなく理解され、宣べ伝えられるように祈り続けよう。説教者たちが目を覚ますように祈り続けよう。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>パウロは、今していることを今後の続けるつもりでいると語る。これは模範である。福音の説教のための戦いは今後も続けるとの姿勢は私たちにも必要だ。福音宣教は、これを妨げようとする悪魔、サタンとの戦いであることを忘れてはならない。サタンに仕えていないかどうか、自己吟味が必要だ。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、コリント教会はその後どうなったのかは分かりません。歴史の中で教会がどのように歩んでいくのか、それは様々です。サタンの攻撃もあります。福音に仕える者は、サタンとの戦いを続け、福音を余すところなく宣べ伝えるのが使命です。
- 現実にはそうなっていないところがあります。特に福音理解が問題です。福音を浅く捕らえ、それしか宣べ伝えていないという問題があります。福音が余すところなく宣べ伝えられますように。説教者たちの目を開き、福音の光を見ることができますように。この世の神が福音の光が見えないように私たちの目をくらまし、キリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしています。サタンの働きを打ち砕いてください。
- 牧師の働きから引退した今、祈ることが私の使命です。福音が余すところなく宣べ伝えられるように。説教者たちが福音の光を見ることができるように。そして証しとして福音を語ることができるように祈り続けたいと思います。
☆与えられた導き
- 今後も福音のために祈り続ける。