2023年1月4日
(内容)
- イエスはローマ総督ピラトの裁判受けた。群衆は「十字架につけろ」と叫び、ピラトはイエスを死刑にした。
(黙想)
- ピラトは、信仰の事柄に対しては関心がない。イエスが誰であろうと、何をしたのか、など関心がない。ただイエスの裁判が自分の身に問題を起こすことだけは避けたい。保身の思いが働く。「十字架につけろ」との群衆の叫びに負けて、イエスを十字架につけることを赦した。ピラトにイエスを無罪にすることを期待することはできない。
- イエスを死刑にしようとするのは、祭司長たち、長老や律法学者たち。彼らは最高法院のメンバーである。最高法院は、イスラエルの最高議決機関と言われる。宗教的な権威を持つ機関でもある。神が救い主を遣わしたのに、それを受けとめるべき宗教的指導者たちは受け入れなかった。それだけではなく、その救い主を殺そうとさえした。
- 自分の立場を絶対化してはいけないことを教えられる。信仰の事柄は、人間がすべてを把握し、理解し尽くすことはできない。知らない部分があることを覚え、謙遜になるべきである。
- イエスはピラトの前の裁判で、沈黙したままである。自分を弁護しようとはしない。死刑を避けようともしない。神の御心を知っており、受け入れている。救い主が殺されるという神の救いの計画は人間の想像を超えている。
- 人間の想像を超えているのが神の救いである。人間の思慮によって神のことを判断してはいけないことがある。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>沈黙を守ったまま裁判の時を過ごす。神の救いの計画に殉じている。
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>人は、自分が何でも分かっているかのように思ってはならない。何でも理解しなければならないと思ってもいけない。自分を絶対化してはいけない。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、自分を絶対化してはいけないこと、神の働きに対しては心を開いているべきであることを教えられました。感謝です。
- 私は今、神の国がどんなところなのか関心があります。しかし考えても分かりません。そこでは信者がいつも礼拝しているとすれば、礼拝に飽きたりしないだろうか、夜がないなら眠くならないのか、とか、変なことを考えます。神の国は、人間の想像を超えたところと考えます。しかしわからないということは、ある意味で苦痛です。分かるからこそ、待ち望むことができます。
- 天の父なる神さま、自分が分からないからと言って、これを拒んだり、無関心になったり、御国への希望を軽んじることがないようにと願います。いや、神の国は私の想像を超えた素晴らしいところであると信じることができるように導いてください。あなたの前に「御国のすばらしさを信じる」と告白します。
☆与えられた導き
- 御国のすばらしさを信じると告白する