2023年4月14日
(内容)
- アダムとイエス・キリストがもたらしたものの比較がなされる。生と死である。
(黙想)
ローマ 5:17
一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。
- 一人の罪によって。アダムの罪である。アダムを通して罪が世に入り、また死が世に入った。そして死はすべての人を支配した。人は皆死ななければならない。そして人は死の恐怖の奴隷となった。世の人は自分の死をどのように受けとめるのか、色々考えている。よい答えを見出せるのだろうか。
ヘブル 2:14~15そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
- 主、つまりイエス・キリストは、私たちを死の支配から救いだした。死は恐れをもって人を支配してきたが、主イエス・キリストは、私たちを死の恐怖から解放した。これはすばらしい救いの恵みである。
- さらに、イエス・キリストを信じる人は、神の恵みと義の賜物を豊かに受け取るとある。神は罪人であった私たちを愛し、キリストを罪の贖いのための犠牲とし、私たちを罪に対する神の怒りから救ってくださった。そしてイエス・キリストを信じる私たちを義と認めてくださった。
- 義の賜物は、イエス・キリストを信じる者を義とすること以上のものと考える。イエス・キリストを信じる者は義とされて生きる。義とされることからキリスト者の歩みは始まる。18節には命を得るとある。
- 義の賜物には永遠の命が含まれ、キリスト者は死の支配から自由になる。さらにキリスト者は罪の支配からも自由になる。この自由を義の賜物と言ってよいのではないか。福音は罪の赦しにとどまらない。罪がもたらした死の支配からの自由、罪の支配からの自由を得てこそ、義の賜物を受けたということができる。
- イエス・キリストを通して生き、支配するとある。人は死の支配、罪の支配から解放されて生きる。これらから解放されて、自由にされた者として生きることができる。「支配する」とは、キリストにあって自由に生きることを意味しているのではないか。
- 福音は良い知らせという意味である。どれほどすばらしい知らせなのか。パウロは、福音を恥としないと語る。時に自分がクリスチャンであることを隠そうとする人がいる。そのような態度に対してパウロは、福音を恥としないと語っているのかも知れない。パウロは福音を誇りに思っており、福音を喜んでいる。福音をどのように理解するのか、それによって福音をどれほど誇りに思い、喜びとするのかが変わって来るだろう。
- やはり、死の支配、罪の支配から自由にされるから、福音はすばらしいというべきだろう。
- 僕の周囲には、福音を罪の赦しと狭く理解する人が多いので、その理解を何とか打ち砕き、福音のすばらしさを伝えたいと願い続け、またそのために労してきた。これからも力を尽くしたい。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>イエス・キリストに結ばれたキリスト者はキリストによって生きる。罪は死の支配に打ち勝って生きることができる。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>キリストに結ばれた神の子として、義の賜物を受け、死の支配、罪の支配から自由になった者として生きること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、自分が救われたこと、死や罪の支配から自由にされたことがキリストに結ばれたことによると知り感謝します。このことを伝えるためには、自分の証しを伝えることがどうしても必要ですね。自分にとってキリストに結ばれるとは何か、どのようにして自由にされたのか、証しの文を書いてみたいと思います。導いてください。そしてあなたに感謝をささげます。
☆与えられた導き
- 証しの文を書く