マルコ福音書 13章32~37節 終わりに備える

2022年11月9日

(内容)

  • その日、その時は誰も知らない。いつその時が来てもいいように目を覚ましていなさいとイエスは教えた。

(黙想)

  • イエスの受難が語られる前に、終末のことが語られる。
  • この箇所では終末の時がいつ来てもいいように目を覚まして備えておくことが教えられる。それがたとえで語られる。
  • 家を後(あと)に旅に出る人が、しもべたちに仕事を割り当てて責任をもたせる。門番には目を覚ましているようにと言いつける。主人はいつ帰ってくるのかわからないので、目を覚ましていなさいと命じられる。主人が突然帰ってきて、眠っているのを見つけられるかもしれない。だから目を覚ましていなさい。これは弟子たちだけでなく、すべての人に対するイエスの言葉である。
  • 目を覚ましているとは、主人がいなくても割り当てられた仕事を責任をもって果たすことである。主人がいないからといって仕事をいい加減にしないことが大切である。キリスト者にとって割り当てられた仕事を責任をもってするとはどういうことになるのだろうか。人それぞれ、その仕事は異なるだろう。
  • 主人が帰ってくるとは終末の到来である。終末に備えることはキリスト者の生き方の特徴である。終末、それは完成の時でもある。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>終末をもたらす方。それがいつか誰も知らない。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>終末がいつ来てもいいように、目を覚ましていること。終末に備えて歩みをすること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、私たちには二つの終末があります。一つは自分の人生の終わりです。もう一つは世の終末です。世の終末に備えるような生き方をすることが大切であり、生きている間にそのような生き方を身につけることが大切と知ります。自分が死ぬまではやり直しはできますが、死んだら人生のやり直しはできません。生きている間に、主イエスの再臨に備えて歩みをすることが大切と教えられます。それは救いの恵みに感謝して御心に従う生活を全うすることと考えます。そして今まで信仰生活を歩んできました。
  • 老いの時期は、今までと違うことを思います。衰えという弱さの中で生きることとなります。最近は寒がりになりました。筋肉量が減り、寒がりになるとネットで調べたら書いてありました。健康を考え、気まぐれにやっていたストレッチを計画的にするようにしたいと思います。信仰的な面では、今の生活を継続します。
☆与えられた導き
  • ストレッチをするための計画を作る。

 

 

 

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