2018年8月24日
(内容)
- 遺産を分けてくれるように兄弟に言って欲しいとの群衆の願いに、それは自分の役目ではないとイエス様は断り、貪欲に気をつけなさいと語り、さらに一つのたとえを語られました。
(黙想)
- イエス様は、貪欲に対して注意を払いなさいと語った上で、「人の命は財産によってどうすることもできない」と語られ、たとえを語られました。「人の命」は、寿命を指すとするなら、仮に有り余るほどの物を持っていても、寿命を長くすることはできないとの教えになります。あるいは「人の命」を人生の質、あるいは幸福、と考えるなら、多くの財産をもったからと言って、幸せになれるとは限らないことを教えられたことになります。
- 人はなぜ、貪欲になり、多くの富を求めるのでしょうか。より快適な人生、幸福な人生を得ることができると考えるからでしょうか。富があれば十分な治療を受け、寿命を長くすることも可能です。
- イエス様は愚かな金持ちのたとえを語りました。ある金持ちの畑が豊作でした。収穫物をしまう場所がないと言って、大きな倉を建て、そこに穀物や財産をしまい、これから何年も生きていくだけの蓄えができた、人生を楽しもうと言うのです。すると神は、あなたの命を今日、取り上げるとおっしゃるのです。今日命が取られるなら、蓄えた財産に何の意味があるのかと言われます。失ってしまうものをせっせと蓄える愚かさが指摘されます。
- 真の豊かさは、神の前に豊かになることだとイエス様は教えられました。神の前の豊かさとは何なのでしょうか。信仰者によって答えは違うかもしれませんが、私は、神さまとの交わりに生きる幸い、だと考えます。「神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです」。
(聖書に聞く)
☆神さまが私たちに求める生き方
- (教え)20節。人の命は、いつ終わりになるのか分かりません。自分が死んだら失われてしまうものを追い求めることは空しいのです。愚かなのです。
- (警告)15節。貪欲に注意しなさい。有り余る物を持ったとしても、寿命を長くすることはできないし、人生を豊かにすることはできません。
- (勧め)21節。神の前に豊かになること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、私たちが愚かさに陥ることがないように守ってください。自分の力で寿命を延ばすことができると考えたり、富があれば人生を楽しめるなどという考えに陥ることがないように守ってください。
- 富があれば、お金に物を言わせて、色々なことができます。他の人に対し優越感を感じるような生活をできるかもしれません。優越感は人間を真に幸せにするものではありません。色々なことができる、そこに幸せを見いだすこともできるかもしれません。それは結局、一時の満足でしかありません。
- イエス様は、神の前に豊かになることを教えられました。それは、永遠に価値あるものと求めなさいとの教えです。真の豊かさとは何か、です。老いを生きる者は、色々なものを失っていきます。若いときのような体力、健康が失われていき、日々何らかの薬を飲むようになります。子供たちが独立し、家族が少なくなり、やがては一人暮らしになります。外に出かけるのもおっくうになります。今まで幸せを感じることができたものが失われていきます。読書が好きでも、字が小さくて本が読めなくなります。失うものが多くなると、何が本当に自分を幸せにするのかを求めざるをえません。今日命が取り上げられたとしても、今日までの日々に感謝して、死ぬことを受け入れることができるような歩み、それは神さまとの交わりです。今の私には、聖書を読み、思いめぐらすことが大きな楽しみです。思いめぐらす中で導かれたことにしたがって生きて行く、これにまさる幸いはないと考えています。神さま、聖書を与えてくださり、感謝します。
- そして今日もこうして聖書に親しみ、思いめぐらすことができたことを感謝します。おだやかで静かな幸いを与えてくださるあなたをたたえます。空しさからの救いを求めて信仰に入った昔を思い出します。あなたは私を導き、救ってくださいました。この救いを感謝し、あなたをたたえる詩を書いてみます。詩編の作者になったつもりで、感謝の詩編です。
☆与えられた導き
- 感謝の詩編を書く
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主なる神よ、あなたをたたええます。
若い日、空しさからの救いを求めて、悩む日々を過ごしていました。
人は死ぬ、そのことを思うと何をしてもむなしく感じました。
何かをすれば、心の満足が与えられるのではないか、そう考えて、
色々なことをしました。
一時的な満足、そして残るのは空しさ。
そのためなら死んでも構わないもの、
そのようなものに出会いたい、と願いました。
そんな私をあなたは目に留めてくださいました。
一人の姉妹を通して教会へ導いてくださいました。
まだあなたを知らないのに、
私に心を留めてくださったあなたをたたえます。
目に見えないあなたを信じることは困難でした。
あなたを信じることができることが不思議でなりませんでした。
でもあなたの恵みです。
今でも覚えています。
ある日の礼拝で説教を聞いていたとき、
強い促しを感じました。
なくてならぬものは多くはない、
ひとつである。
洗礼への促しでした。
私をとらえ、導いてくださったあなたをたたえます。
主よ、わかりました。
わかったのです。
あなたが共にいてくださることがわかれば、
人は幸いなのだと。
あなたが共におられることがわかれば、
人は満ちたりるのだと。
私は足りることを学びました。
ありがとう神さま、
あなたをたたえます。