2018年10月20日
(内容)
- イエス様が、罪人たちを迎えて一緒に食事をしているとファリサイ派や律法学者たちから批判されたときに語られた二つのたとえ。
(黙想)
- このたとえには、百匹の羊をもっている人、あるいはドラクメ銀貨10枚をもっている人が登場します。羊が一匹見当たらないとき、その所有者は見つかるまで探します。銀貨1枚が見たらないとき、その所有者は見つかるまで探します。見つかるまで探すということは、大切なものだから見つかるまで探します。大切だから見つかったとき、友だちや近所の人を集めて共に喜びます。
- ここでイエス様は、私たち人間には、造り主なる神がおられることを教えようとされます。羊、銀貨の所有者がいたように、人間には、これを愛してくださる天の父なる神様、造り主なる神さまがおられること、そしてこの神さまは、一人ひとりの人間を大切にしていることをイエス様はたとえを通して教えておられます。
- どの人も神さまにとっては大切な人であり、私たちが軽んじたり差別してよい人などひとりもいません。しかし私たちは他者を軽蔑し差別し罪を犯してしまうことがあります。それが心の中の思いであれば、誰にも知られることはありません。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御父)神さまは、私たち一人一人のことを大切な存在と考えてくださる方です。イエスのたとえに登場する羊の所有者、銀貨の所有者は神さまを表しています。
- (御父)神さまは、どこまでも私たちを探し続けられる方です。神さまは私たちが神さまのもとに立ち帰るのを待っておられる方です。立ち帰るように導かれるお方です。
☆神さまが私たちに求める生き方
- (教え)人を軽んじ、また差別し、交わりを断つのはよくありません。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、あなたはこのたとえに出てくる羊の所有者や銀貨の持ち主のように、私を大切に思ってくださる方であると信じます。あなたを信じるゆえに、自分が価値のない者、取るに足りない者であると自分を卑下するのをやめています。あなたのゆえに、自分を肯定できることを感謝します。そして私はあなたによって見いだされ、信仰者に導かれたことを感謝します。私はもう迷える羊ではなく、あなたのもとにいる羊です。私はあなたによって見いだされ、福音を宣べ伝える者へと召されました。失われた者を捜す立場にされました。
- 今日の聖書を読んで、あらためて自分はあなたによって見いだされたこと、そして私が見いだされたとき、天には大きな喜びがあったことを教えられました。私たちは、自分が喜ぶ喜びしか考えませんが、天には神さまが喜ぶ喜びがあると知りました。
天にある喜びに仕えることができることを願います。 - 幾人かの人たちが礼拝に導かれ、また信仰に導かれるように祈っていますが、羊飼いや銀貨の持ち主は見つかるまで捜しました。天の父なる神、今私が覚えて祈っている方々をどうか目に留め、あなたのもとに連れ帰ってください。そして天において大いなる喜びがわき上がるようにしてください。そして私もその喜びを共有できることを願います。神さま、どうぞあなたのもとに連れ帰ってください。
☆与えられた導き
- 神さまがご自身のもとへ連れ帰ってくださるようにと祈る。