2018年11月3日
(内容)
- イエス様は弟子たちにつまずきをもたらさないように気をつけなさいと教えられました。具体的な例としては赦しを求められたときには必ず赦すこと、つまり教える者が教えを破るようでは人につまずきをもたらすと教えられました。
(黙想)
- 人を赦すことは簡単ではありません。「先生、人を赦すってむずかしいですよね」と信徒が牧師に語ったとき、「むずかしいですね。僕もできません」と答えた牧師がいました。正直は好ましいと思いますが、暗にむずかしい教えは守れなくても仕方がないと語り、人をつまずかせていると思いました。「むずかしいですか。では赦すことができるように共に神さまにお祈りしましょう」と答えて祈ればよいと思います。牧師、つまり教える者の口から無意識に出る言葉が、案外つまずきをもたらします。経験からそう思います。
(聖書に聞く)
☆神が求める私たちの生き方
- (警告)3節。人をつまずかせないように気をつけること。
- (命令)3~4節。悔い改める人を赦すこと。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父、自分は正しいことを語っているつもりでも、人につまずきを与えることって多いことを思います。説教において、批判的なことを語ることがあります。何かを批判するとき、自分は正しいことを語っているつもりになってしまいます。でも批判だけでは、建てることはできません。説教を聞く人は、どうしたらよいのかを知りたいからです。先日の説教の準備においても、他者の生き方を批判する誘惑がありましたが、しかし批判することをやめ、積極的な生き方を語ることができてよかったと思います。説教は積極的な生き方を語るべきですね。警告だけしていても、どうしたらよいのかが語られなければ警告は、聞く者を威圧するだけかもしれません。
- そして説教者は、自分が語ったとおりに生きることが大切ですね。そうでなければ偽善者になってしまいます。語ったとおりに生きる、これには誠実な努力が必要です。我が身を顧みて私はどうなのでしょうか。
☆与えられた導き
- 説教において批判的なことは語らず、むしろ積極、具体的な生き方を語るように心がける
- 説教の準備をするとき、このことに目が行くようにパソコンの画面に付箋を貼っておく。