ヨハネ福音書11章17~27節

2019年11月30日

(内容)

  • イエスがマルタ・姉妹のところへ行くとラザロはすでに墓に葬られていたマルタはイエスに嘆く。イエスは「わたしは復活であり、命である」と宣言される。

(黙想)

  • マルタはイエスに「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と語る。早く来てくれればラザロは死ななかったのにと苦情のような嘆きの言葉を語る。
  • その後のマルタの言葉「あなたが神にお願いなることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています」は何を意味しているのだろう。イエスに何を期待している言葉なのだろうか。ラザロを生き返らすことを願っているのだろうか。
  • 教会員が亡くなった時、「ナザレの人イエス・キリストの名によって目を覚ましなさい。起き上がり立って歩きなさい」と何度口に出したいと思ったことか。でも口には出せなかった。
  • 死者を生き返らせる、ということを口に出すことははばかられるように思われる。マルタは婉曲的にラザロを生き返らせることを願ったと思われる。
  • それに対してイエスは「あなたの兄弟は復活する」と言われた。当時、ファリサイ派や律法学者たちは復活信仰を持っていたと言われる。サドカイ派の人たちは死人の復活を否定していたと言われる。だからマルタが「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と答えたのは不思議ではない。
  • そこでイエスが「わたしは復活であり、命である」と語り、さらに「わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」とマルタに迫った。
  • このイエスの言葉は、人は肉体の死を迎えても、なお生きると語った言葉である。イエスは人々がもっている復活信仰に立って語っているのではなく、ご自身の復活に立って発言している。マルタは終わりの日の復活を信じますと答えているから、「これを信じるのか」のイエスの問いに「信じます」と答えてもいいのにと思う。
  • マルタの答えは、イエスがメシアであると信じるとの答。なぜこのような答えをしたのか。マルタを含め人々が抱く復活信仰は、人間の希望的な信仰である。根拠があるわけではない。イエスの言葉には迫力がある。「わたしは復活であり、命である」との宣言。力ある宣言。真実の言葉か、真っ赤な嘘か。
  • マルタがどんな思いで、何を考えて答えたのか、それはわからない。しかし「わたしは復活であり、命である」とイエスが語る言葉は重い言葉だ。イエスを信じるとは、イエスが復活であり、命であることを信じること。さらに言えば、イエスを信じる私自身の復活を信じること。
  • 建前で、イエスの、そしてわたしの復活を信じると告白するのではなく、心からの告白。「あなたはこれを信じるか」。喉元にナイフを突きつけられたような気持ちになる。いい加減な返事はできない。といって「一応、復活は信じます。でも自分の死を前にした時、本当かしらと疑い不安になる気持ちはあります」と正直に答えていいのか。復活が本当であることは、私の気持ちには関係ないので、疑い・不安・迷いがあるとしてもイエスを信じる者として「信じます」と言えばよいのか。
  • 人は信じることについて信じて間違いがないとの確信を求めたくなる。その気持ちは分かる。でも確信できるから信じることが確かで、確信が持てないから、信じることは不確かなことにはならない。「このことを信じるか」と言われたら、「信じます」と答えたい。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方
  • (御子)25節。イエスは復活であり、命である。
  • (御子)25~26節。イエスは死を越えてなお私たちを生かす方である。
  • (御子)26節。イエスは時に「信じるか」と問う方である。
☆神が私たちに求める生き方
  • (教え)イエスを信じる者は、肉体の死で終わることはない。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父よ、私たちが自分が確かだと信じられることは信じ、確かだと思えないことは信じない傾向があります。自分の思いを絶対化しています。これは間違いですね。私が確信を持つことができようとできまいとイエス様は救い主であり、神さまはイエス様を通して救いの出来事を起こされました。
    自分の思いにこだわり、信ずべきことに不安や迷いを感じて信じない罪を赦してください。
  • イエス様は「このことを信じるか」とマルタに語りました。この信じるという言葉は「私たちにも向けられています」。私たちはイエス様に答えなければならないと思います。わたしは信じる者として歩みます。
  • あらためて信仰とは教えを受け入れて生きることではなく、イエス様に向き合い、イエス様との交わりに生きることと受けとめます。「このことを信じるか」とのイエス様の声を聞きつつ生きることであると受けとめます。
  • 今、私はイエスを信じない者の「滅び」について考え始めています。滅びを語る聖書箇所をピックアップし、聖句と向き合うことにします。導いてください。
☆与えられた導き
  • 滅びを語る聖句をプックアップする

この記事を書いた人