マルコ福音書 14章53~65節 神の前の謙遜

2022年4月1日

(内容)

  • イエスは最高法院での裁判を受けられた。イエスに不利な証言がなされたが罪に定める決定的な証拠はなかった。イエスは沈黙を続けた。大祭司があなたは「メシアか」と尋ねたとき、イエスはご自分について語られ、それが死刑判決を呼び込んだ。

(黙想)

  • イエスは自分にとって不利な証言が出されても黙り続けた。決定的な証拠にはならないので、弁解する必要はなかった。また無罪を目指す必要もなかった。十字架へ向かう道の途上にあり、それは神の御心と受けとめていた。
  • しかし大祭司が「メシアなのか」と尋ねたときには、「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る」と答えられた。イエスは自ら、有罪判決を招くような発言をしたことになる。もし発言しなければ、裁判は決着がつかなかったかも知れない。
  • これはダニエル書にある言葉に関連していると思われる。ダニエルが夜の幻の中で見たことが書かれている。

ダニエル 7:13~14
見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り/「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み権威、威光、王権を受けた。

  • イエスはこの人の子が全能の神の右に座っておられることを語り、天の雲に囲まれて来ると、語る。ダニエル書では、人の子は雲に乗って神のもとへ行くと語られている。イエスの言葉は、人の子は雲に乗って、この世界に来ることを語る。「人の子」はメシアを意味している。
  • イエスは「メシアなのか」と問われた。これに対して「そうです」の返事だけなら、死刑判決の理由にはならなかっただろう。ユダヤ人たちはメシアの到来を待望しており、そのメシアはあくまでも人間だからである。イエスが活躍しているとき、人々はイエスがメシアではないかと期待した。
  • しかしイエスは、「そうです」に付け加えて「あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る」と答えられた。
  • 大祭司は、イエスが「全能の神の右に座り」と語ったので、イエスは自分を神としているとし、神を冒とくしていると解釈した。その結果、死刑の判決が下された。
  • イエスはなぜ、このような発言をしたのか。マルコ13章でイエスは、終末のことを語っている。「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」(13:26)。イエスはご自分が再臨の主であることを語られている。そして神の右に座す者であり、ご自身が神であると語られたことになる。イエスはご自分が誰であるかを証ししたことになる。この証しのゆえに死刑判決を受けた。
  • しかし自分から進んで証しをしたわけではない。「あなたはメシアなのか」との質問を受けたので答えたのである。これがきっかけで判決が出た。
  • 死刑判決が出た後、イエスに対してつばを吐きかけたり殴ったり、卑劣なことをする人たちがいた。イエスは忍ばれた。
  • 大祭司や律法学者たちはイエスを死刑にすることができてほっとしたことだろう。イエスもまた聖書の言葉の実現としてこの事態を受け入れたことと思われる。
  • 宗教指導者が神が遣わしたメシア救い主を認めることができなかった。認めないどころか、殺そうとする。ある意味、驚くべきことである。それは自分は神のことを分かったつもりになってはいけないということであり、神の御前に謙遜になるべきことを教えている。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>御自分が神であり、再臨する方である。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>神の御前に謙遜であり続けること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝です。今日の聖書箇所を通して、あなたは私に何を語っておられるのかと考えます。語っておられるのなら聞けばいいだけのことで、考えるのはおかしいのでしょうか。神さまの声は注意しないと聞こえないほど小さな声かもしれません。あるいは聞き分けないといけないかもしれません。これはあなたの声かと考えるのは必要なことかもしれませんね。
  • 今日は、あなたのことを分かった気持ちになってはならず、謙遜になるべきことを教えられました。分かった気持ちになる誘惑から守ってください。常に福音が何かを探求させてください。
  • 今日は友人のYさんが手紙の中で紹介してくれたP.トゥルニエの文章をしっかり味わいたいと思いました。謙遜に学ぶことができるよう導いてください。
☆与えられた導き
  • P.トゥルニエの文章を味わう

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