2022年4月18日
(内容)
- アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を引き取り、墓に納めた。
(黙想)
- ヨセフは勇気を出してピラトにイエスの遺体の引き取りを願った。引き取らなければイエスの遺体は、引き取り手のいない死刑囚の遺体として取り扱われ、おそらく粗末に扱われることになる。そこでヨセフは勇気を出して、ピラトに引き取りを願った。それは認められた。
- ヨセフは、神の国を待ち望んでいたとある。ヨセフの信仰が言い表されている。イエスは神の国の福音を宣べ伝えた。ヨセフはイエスを信じていたといえる。でも彼は、マルコ福音書ではここで初めて登場する。イエスの活動の結果として弟子以外にもイエスを信じていた人がいてもおかしくはない。
- ヨセフは勇気を出してピラトにイエスの遺体の引き取りを願った。ヨセフの信仰の証でもある。自分がイエスの遺体を引き取らなければどうなるのか、粗末に扱われるのは耐えられないと思った。そして自分以外に引き取りを申し出る者はいないと思った。自分しか引き取る人はいない。そう思って勇気を出して引き取った。そしてイエスの遺体を葬った。
- この箇所に出てくる女性、マクダラのマリアとヨセの母マリアは、イエスの十字架の死の目撃者であり(40節)、葬りの目撃者であり(47節)、イエスの復活の証人でもある(16章6節)。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>イエスは死んで葬られた。
☆神が私たちに求める生き方
- <模範>自分以外にイエスの遺体を引き取る人はいないと考えたヨセフは勇気を出して、ピラトにイエスの引き取りを申し出た。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、イエス様は十字架で亡くなりました。ヨセフはイエス様の遺体を勇気を出して引き取り、墓に葬りました。彼もまたイエス様を信じていました。
- 自分がしなければ誰がイエス様の遺体を引き取るのか、自分が引き取らなければイエス様の遺体は粗末に扱われる、それはよくないと考え、ヨセフはイエス様の遺体を引き取り、葬りました。
- 私たちの人生において、自分がしなければだれがするのか、放置していいのか、という場面が時にあります。その時どうするのかは、ひとつの選択です。ヨセフは勇気を出して名乗り出てイエス様の遺体を引き取りました。自分がしなければだれがするのか、そのような選択に私は直面しているのでしょうか。
- 思い当たることが一つあります。それは福音を伝えることです。特に罪からの解放の福音です。余り語られません。だから、私が語らなくてはとの思いに駆られます。ブログを通して語るということですが、私に与えられたこととして取り組みたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
- 福音としての罪からの解放を伝える。