ローマ 3章5~8節 神は義なる方

2022年8月30日

(内容)

  • パウロは自分たちを中傷する人を考えている。その人たちは「善が生じるために悪を行おう」とパウロが主張していると中傷する。

(黙想)

  • パウロは1章18節以降で、異邦人もユダヤ人もみな罪を犯していると指摘した。神の民であるユダヤ人も罪を犯している。それならユダヤ人であること、神の民とされたことにどんな意味があるのかとの問いが生じる。
  • 1~4節で、パウロはユダヤ人には優れた点があったことを書く。神の言葉をゆだねられたことである。しかし神の言葉を信じて生きないなら、ゆだねられたことは意味がなくなる。律法を与えられても、それを守らなければ律法を与えられたという特権は意味がない。かくしてユダヤ人も異邦人と同じく神の前に罪を犯していることになる。
  • ユダヤ人が罪を犯したからといってユダヤ人を神の民として選んだ神の真実さは変わることがない。
  • この段落では、パウロに向けられた中傷が紹介される。パウロは福音には神の義が啓示されていると語った。次に人間の不敬虔と不義に対して神の怒りが現されるとパウロは書く(1:18)。神の怒りは、神が義なる方であることを告げる。罪に対して怒る、それは神が義なる方だからである。
  • パウロが神の義が啓示されたという時、それは神の性質として罪を憎み、罪に対して怒る神の正しさとしての義ではない。罪ある人間を義とする神の義、神が人間に与える義が啓示されたとパウロは考えている。
  • しかし、これは理解されにくい。宗教改革者のルターも、最初、神の義が啓示されたとの文を、罪に対して怒る神の性質、神の属性としての正しさ・義が啓示されたと考えた。そして自分は罪の中にあることを思い、絶望的となった。しかし啓示されたのは、神の性質としての義ではなく、キリストを信じる者に与えられる義と理解し、彼は救われた。
  • この段落では、神の義とは、神の属性としての正しさ、義である。パウロは福音には神の義が啓示されたと説く。啓示されたことは大切なこと、素晴らしいことだと人は受けとめる。そこで問いが生じる。私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきか。私たちが罪を犯し、神が罪に対して怒り、神が正しい方であることが明らかになるなら、、人間の不義は役に立つもの、意義あるものとなる。すると人間の不義に神が怒るなら、その怒りは正しいのだろうか、という疑問が生じる。これは一種の理屈であるが屁理屈である。パウロは「決してそうではない」と語る。
  • また7節でも同じ理屈が述べられる。人間の不義が人間の偽りに、神の義が神の真実に言葉が代わっているが、理屈は同じである。人間の偽りが、神の真実をいっそう明らかにし、神の栄光となるなら、人間が罪人として裁かれねばならないのか。そしてさらに屁理屈は、善が生じるために悪をしようと語る。神の栄光が現れるために罪を犯そうという屁理屈が語られる。
  • パウロは福音には神の義が啓示されていると語った。パウロの主張を逆手にとって、神の義を明らかにした人間の不義に意義を認め、不義に怒るべきではない。さらには神の義をいっそう明らかにするために不義を行おうとパウロは語っていると中傷する人がいる。
  • このような主張をするのはおそらくユダヤ人である。ユダヤ人、とくに律法を守って自分は神の前に正しいと考えているユダヤ人。彼らはパウロによってユダヤ人も罪を犯していると非難されたことに反感を持ち、屁理屈をこねたのではないか。
  • 6章の最初でも同じ事が語られる。恵みによって罪が赦されるなら、恵みをさらに受けるために罪を犯そう、罪の中に留まろうという屁理屈に対してパウロは「そうではない」と書く。
  • 自分の罪を認めたくない人たちの屁理屈をパウロは紹介している。自分が伝えることに対して生じるかも知れない疑問、誤解を防ごうとしている。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神は正しい方、義なる方であり、真実な方である。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>罪に対して神が怒ることは正当なことであることを認め、自分の罪を認めることが大切である。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、自分の罪を認めようとしない者たちが屁理屈をこねます。罪を犯すなら、罪を神が怒り、神が義なる方(正しい方)であることがいよいよ明らかになるから、罪を犯そう、そうパウロは教えているとパウロは中傷を受けました。
  • 天の父よ、誰が何を言おうと、聖書に書かれている真理を大切にしたいと思います。現代でも、人間が罪を犯していることを多くの人は認めないと思います。人間が罪を犯しているから、この世は様々な問題に満ち、生きにくい世となっていますし、悪がはびこっている世となっています。
  • 福音が力強く宣べ伝えられることを願います。キリスト者があなたを証ししてこの社会に感化を与えることを願います。どうぞキリスト者を祝福して下さい。
☆与えられた導き
  • 神がキリスト者を励ましてくださるよう祈る

 

 

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