2022年8月31日
(内容)
- イエスはご自分の死と復活を弟子たちに語られた。これは三度目である。
(黙想)
- 弟子たちは、イエスが先頭になってエルサレムに向かって歩くのを見て驚き、恐れたとある。毅然としたイエスの姿は、エルサレムでの死に向かって歩む姿であり、弟子たちは、驚きと恐れを覚えたと思われる。
- イエスは三度、ご自分の死と復活について語った。それは事が起きたときに、イエスがすでに予告していたことを弟子たちに知って欲しかったからと思われる。予想外のことが起きたのではないことを知り、弟子たちが狼狽しないようにと配慮された。
- イエスは自分を殺そうと考えている人の存在におそらく気づいていたと思われる。3章6節で、安息日にイエスが病人を癒やされたとき、ファリサイ派の人々は、イエスを殺そうと相談を始めたとある。
- イエスは自分の死をどう考えていたのか。10章45節で、イエスは「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」と話している。身代金は、負債のために奴隷となった人を自由にするために、戦争捕虜を自由にするために支払われる。罪に捕らわれていた者を罪から自由にするための身代金としてのイエスの死。教会はイエスの死について贖いの死と理解した。贖いには二つの意味があり、一つは罪に対する神の怒りをなだめるとの意味。それは罪の赦しにつながる。今ひとつは、罪の支配から自由にするとの意味。
- 主イエスは三度御自分が死んで復活することを語った。主イエスは私たちに、あなたはわたしの十字架の死と復活からどのような恵みを受け取ったのかと問いかけていると考えてもよい。主イエスは弟子たちに三度語ったように、私たちにも三度も問いかけていると考えたら、自分は十字架をどのように受けとめているのか、答える必要がある。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>十字架に向かって毅然として歩む方。
- <御子>御自分の進むべき道として十字架の死を受け入れている方。
- <御子>死んで三日の後に復活すると信じている方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>十字架の救いの恵みをすべて受けとること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、主イエスは三度も弟子たちにご自身に死と復活について語りました。それは言い換えると、私たちは主の死と復活をどう受けとめているのか、私たちが問われていることと受けとめます。イエスは何のために十字架につかれたのか、主の死は、私たちにどのような救いを与えるのか、そして私たちがその救いに生きているのか、明確にするように促されます。今日は思いめぐらす時を取り、主の十字架の死と復活が私たちに与えてくれる救いの恵みを自分がどう受けとめているのか、書き記したいと思いました。わたしを導き、感謝の時を持たせて下さい。
☆与えられた導き
- 主の死と復活がもたらす救いの恵みを列挙する。
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- 神の前に、義(正しい者)とされること
- 罪の赦しを受けること
- 罪の奴隷状態から解放されること
- 律法の支配から解放されること
- 新しい命を与えられ、新しく神の子として誕生すること
- 律法の支配から恵みの支配へ、サタンの支配から神のご支配に移ること
- 聖霊が自分の内に住んで下さり、神の子として生きる力を与えられること
- 聖霊が聖書の言葉を悟らせ、神の言葉と確信させること
- 罪に打ち勝って生きることができること