2022年10月13日
(内容)
- 主イエスは神殿の境内で人々に教えていた。その教えの中で律法学者たちには気をつけなさいと言った。
(内容)
- イエスはなぜ、律法学者たちに気をつけなさいと言ったのか。それは彼らの教えは信頼できないからである。なぜ信頼できないか。それは彼らが真剣に神を求めていないからである。
- 彼らは信仰を利用して、自分をよくせ見せようとしていた。自分をよく見せるために神さえ利用するのである。このような人たちからは真理を聞くことはできない。
- 律法学者たちは、長い衣をまとって歩き回ることを好む。長い衣をまとい、敬虔な宗教者であることを装う。広場で挨拶されることを好む。人々が彼らに敬意を払うことを喜んだのである。会堂では上席を好む。上席に座るのは、それなりの資格がある人であり、そのような人に認められたいのである。これらは、律法学者たちが虚栄心に生きていることを示す。
- 彼らはやもめの家を食い物にするとある。具体的にどのようなことをしたのか。やもめは弱い立場の人である。宗教指導者として寄り添う素振りを見せて、お金を巻き上げたのか。今、日本では、ある宗教団体が信者から莫大な献金を集め、信者の生活を破綻に追い込んでいることが問題となっている。
- いずれにせよ、律法学者たちは、神を利用して、自分をよく見せようとしていた。この人たちから真理を知ることはできないから、イエスは気をつけよと言われた。
- 僕は牧師として歩み、教える立場に立っていた。牧師も人間、心の中には色々な思いを抱く。立派な牧師とみられたいとの思いがないわけではない。今思うことは、説教は聖書を解説する話しではなく、聖書の真理を伝える。だから、聖書の真理に生きていないと真理が分からず真理を伝えることはできない。聖書の解説をして説教とすることはできるが、それは真の説教ではないだろう。真の説教には、説教者が真理に生きていることが伝わってくるものがある。
- イエスは律法学者に気をつけなさいと言った。教師と呼ばれる人たちが、どのような人間なのか、どのように生きているのかを知ることは大切である。
- イエスは、律法学者たちは人一倍厳しい裁きを受けると語る。この裁きは何を指しているのか。普通に考えれば、最後の裁きとなる。イエスはさりげなく、最後の裁きに言及する。イエスは13章で人の子が雲にのってくることを語っており、主イエスは最後の裁きのあることを知っている。
- ヤコブの手紙にも、教師は他の人より厳しく裁かれると書かれている(3:1)。謙遜になるように促される。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>虚栄心を持たないように。
- <教え>偽教師に気をつけること
- <教え>神の裁きのあることを覚えること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、主イエスがどんな気持ちで群衆に教えたのかと思います。群衆の中には律法学者がいたかもしれません。主イエスは、律法学者たちの振る舞いを指摘し、虚栄心に満ちていることを指摘しました。そして人一倍厳しい裁きを受けることを指摘しました。このような指摘を受けることは嫌な気持ちになりますが、真実を突いています。主イエスは律法学者たちの悔い改めを期待したのではないかと思います。
- 自分の至らない点、問題点を指摘されるのは、うれしいことではありませんが、目を背けて無視してよいものでもありません。自分に対する指摘は誠実に受けとめるべきことを思います。
- 先日、私がブログに書いていることについてのコメントがありました。批判が書かれていました。私の至らぬ点が指摘されていました。批判をされることはよい気持ちではありませんが、しかし的を得た批判なら受けとめることが大切ですし、自分が謙遜であるか否か、問われます。自分なりに誠実に対応したつもりです。
- 父なる神、私に今、悔い改めるべき事柄がありましたら教えてください。今日はこのことを祈りたいと思いました。
☆与えられた導き
- 神に祈る