2023年1月18日
(内容)
- イエスは十字架につけられた。婦人たちがイエスが亡くなるのを見守っていた。彼女たちは、イエスに従った人たちである。
(黙想)
- 婦人たちは遠くから見守っていたとある。イエスが十字架の上から叫ばれた声を聞き分けることができたのだろうか。イエスの叫び声をだれかが聞いていたので、それが記録され、私たちもイエスの叫び声を知ることができる。
- イエスは朝9時に十字架につけられた。12時頃に全地が暗くなり、イエスは3時に大声で叫び間もなく死んだ。イエスの処刑をどれほどの人が最後まで見続けたのかと思う。イエスが十字架を担ってゴルゴダの丘に十字架につけられた。朝の9時である。多くの人が見たにちがいない。十字架につけられた人が、徐々に体が弱っていき、最後に死ぬ。死ぬまでにそれなりに時間がかかると言われおり、イエスは時間的に見て、ずいぶん早く死んだと思われる。もし野次馬として十字架刑を見るなら、何時間も見続けることはないと思う。12時頃に全地が暗くなったとあるので、ある意味、気味が悪くなる。12時まで十字架刑を見守っていた人たちも帰ったのではないか。それゆえ、最後まで見守った人は少なかったのではないか。
- イエスが大声で叫んだとき、そこに居合わせた人が、エリヤを呼んでいると言い、また海綿に酸いぶどう酒を含ませたものを葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした人がいた。これは誰なのかはわからないが、最後まで見ている人たちもいたことを示している。
- 女性たちは、イエスの叫びを聞いたと思う。あたりは静寂に包まれていたので。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」との声を聞いたとき、女性たちはどう思ったのか。
- 十字架につけられてから3時まで長い時間である。何を思い、何を考えながら、女性たちは過ごしたのか。イエスの奇跡、イエスの説教を聞いていた彼女たち。主イエスを神から遣わされた人と思っていたにちがいない。何か大きな働きをすると思っていたのに、捕らえられ、十字架につけられてしまった。なぜ?こんなことが起きるのかと疑問に思っていたにちがいない。すぐには疑問が解決するわけではない。イエスの働きが水泡に帰したと思ったかも知れない。とにかく彼女たちは十字架につけられたイエスを見守り続けた。
- 私たちはイエスの十字架の意味について、礼拝で説教を通して教えられる。なぜ十字架につけられたのか、教えられる。キリストの死の意味について教理として教えられ、学ぶことができる。だから私たちは十字架を見続けることはない。十字架について、思いめぐらすことは少ない。
- 讃美歌142番の出だしは「栄えの主イエスの十字架を仰げば」である。「仰ぐ」と訳された英語の歌詞は survey つまり「探求する」である。探求した結果、十字架につけられたのは、「栄えの主イエス」である。十字架につけられたイエスの姿は、裸で手足を釘で打たれ、血を流している姿であり、「栄え」というようなものは一切見られない姿である。「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない」。それを「栄えの主」と讃美歌は歌う。
- イエスの死を見守った女性たちのように、十字架のイエスの姿を見続け、十字架を探求し、そこにいるのは「栄えの主」であることに気づきたいと思う。使徒パウロは、「キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさ」という言葉を書く。キリストを知る素晴らしさをどこで見たのか。十字架のイエスを見続け、キリストのすばらしさを発見したに違いない。教理を学んでも、この素晴らしさはわからない。聖書を思いめぐらし、十字架を探求したいと思う。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>十字架につけられた方
☆神が私たちに求める生き方
- <模範>女性たちは十字架のイエスを見守り続けた。なぜイエスが十字架につかねばならなかったのか、思いめぐらしていたにちがいない。あらためて十字架の意味について探求してみたいと思う。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、女性たちは十字架につけられた主イエスを最後まで見守り続けました。彼女たちは主イエスを見守りつつ、思いめぐらしていたのではないでしょうか。これまでの主イエスの働きは無駄になったのか。無駄になったのであれば、主イエスのことは思い出になってしまいます。あるいは、大切な教えを教えてくれた先生となってしまいます。
- 彼女たちには、主イエスの死の意味はすぐには分かりません。しばらくは戸惑いの中を生きなければなりません。
- 私たちは、十字架の意味を教えられます。教えられ、知識を得ることができます。しかしそれは本当に知ったことにはなりません。本当に知り、それが自分の生き方を変え、神の栄光を現す歩みとなることができることを願います。導いてください。
☆与えられた導き
- 導きを祈りつつ、十字架を探求する。