2023年1月24日
(内容)
- 十字架のイエスは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで亡くなった。
(黙想)
- この叫び声は、詩編22編の言葉である。神に見捨てられるというのは絶望である。絶望的な状況の中にあってイエスは、神に呼びかける。神に見捨てられたと思うとき、「お前の神はどこにいる」との声が心の中に響いてくる。
- キリスト者は信仰を抱いて死ぬ。神の国の希望を抱いて死ぬ。死んだ私はもしかして叫ぶかも知れない。「神よ、あなたはどこにいるのですか、あなたの御国はどこにあるのですか」と何もないむなしい空間の中に放り出された私は叫ぶかも知れない。そんなことを思うことがある。もしこうなったら絶望である。
- イエスの叫び声は絶望の叫び声である。しかし詩篇22編は絶望の中でそれでもなお神に信頼する詩編となっている。絶望の声と共に神への信頼の言葉がある。
詩編 22:5~6
わたしたちの先祖はあなたに依り頼み/依り頼んで、救われて来た。助けを求めてあなたに叫び、救い出され/あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。詩編 22:11
母がわたしをみごもったときから/わたしはあなたにすがってきました。母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。
- 詩編22編の詩人は、絶望的な状況の中で、それでもなお信仰の告白をして、神に信頼しようとする。これが信仰なのだと思う。そしてイエスは、私たちに模範を示しておられる。信仰とは、自分が神と結ばれていることを信じ抜くことである。神を信じるとはこの結びつきのあることを信じることである。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>十字架の上で絶望の叫び声を上げた方
☆神が私たちに求める生き方
- <模範>イエスは模範である。どんなに絶望の中にあっても、神を信じ抜く模範である。神に見捨てられても、「わが神」と叫ぶ。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、使徒パウロが「キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさ」という言葉を書いています。私もキリスト・イエスを知るすばらしさを味わいたいと願っています。十字架の場面では、主イエスは、絶望の叫び声を上げながらなお、あなたに信頼しています。この信仰はすばらしいと考えます。
- 信仰は、最終的にはすべてをあなたにゆだねることにあります。地上の歩みにおいて、私たちはあなたに信頼して歩み、願った結果にならなくて後悔する思いに駆られることがあり、また自分の思いに従って歩み後悔することもあります。地上の歩みにおいては、やり直しができます。色んな経験をして、私たちはあなたに信頼することを学んでいきます。それゆえ、最後の時、あなたに召されるときも、あなたに信頼し安らかに最後を迎えることができることを願います。
- 主イエスのように、あなたへの信頼を貫くことができるように導いてください。残された地上の歩みにおいて、あなたへの信頼をたしかにして歩むことができるように導いてください。
- あなたへの信頼の思いを文章に書いてみます。
☆与えられた導き
- 神に信頼するとの告白の祈りを書く。