ローマ 8章10節 キリスト者の内にはキリストがおられ、キリスト者は神の命に生きる

2024年7月26日

(内容)

  • 人間には体があり、体があるゆえに欲望が生じる。この欲望は私たちが罪を犯すように導く。しかしキリスト者の内にはキリストがおられる。キリスト者は神から与えられた命に生きる。

(黙想)

10節。
「キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています」。

  • 8章でパウロは、キリスト者のあり方、行動について、「霊」と「肉」で表現している。キリスト者は、「霊にある」「霊の内にある」「霊の支配下」にある。そしてキリスト者は「霊に従い」、「霊に属する」ことを考える。非キリスト者は、「肉にある」「肉の内にある」「肉の支配下」にある。そして「肉に従い」、「肉に属する」ことを考える。私は洗礼を受ける前は、非キリスト者であったが洗礼を受け、キリストに結ばれ、キリスト者になった。キリストがキリスト者の内におられると信じる。
  • この箇所で「体」という言葉が出てくる。「体」はすでに6章に出てきた。人間は心と体でできている。体は欲望を持ち、そのために罪の働きかけを受ける。

ローマ 6:12
従って、あなたがたの死ぬべき体を罪に支配させて、体の欲望に従うようなことがあってはなりません。

  •  体は欲望を持ち、罪の働きかけを受けて、欲望に従い罪を犯す。体は罪によって汚されている。待っているのは死である。それでキリスト者は体が贖われることを待ち望む。終わりの日に、体が罪の汚れから贖われるのを待ち望む。

ローマ 8:23
被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

  • キリスト者は地上に生きている限り、からだを通しての罪の働きかけを受けるので、罪との戦いが生じる。
  • 10節では、「体は罪によって死んでいる」と書かれている。体は罪の働きかけを受けるので死んだに等しいというのである。罪は体を通してキリスト者に働きかける。
  • キリスト者は、「霊にある」「霊の内にある」「霊の支配下にある」。キリスト者は罪の働きかけに勝利できる。非キリスト者は、体の欲望に従う。そのことが「肉にある」「肉のうちにある」「肉の支配下にある」と言われる。
  • さらに言えば、人間は心を持つ。この心もまた罪の働きかけを受けるし、欲望を持つ。体の欲望は肉体から生じる欲望であるが、心の欲望はプライドから生じる。キリスト者は、この心の欲望とも戦う。聖霊は心に働きかけるので、心は死んでいるとは言われない。心は霊に属することを考え、霊に従おうとする面もあり、心は霊と肉の戦場である。

ローマ 8:10
キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。

  • 霊は義によって命となっているとある。この霊は、聖霊のことではない。死と命とあるようにここには対比がある。体と霊が対比されている。この霊とは何か。人間は、霊と魂と体からなるという見方がある。

テサロニケ一 5:23
どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。

  • 神はアダムに善悪の知識の実を食べると死ぬと言われた。アダムは木の実を食べ、その霊が死んだ。霊が死ぬとは、神との交わりに生きることができなくなったことを意味する。神なしに生きるようになった。それゆえ、罪に支配される者となった。人は「肉にある」「肉のうちにある」「肉の支配下にある」ものになった。
  • しかしキリスト者は、その霊が回復した。キリスト者は「霊にある」「霊の内にあり」「霊の支配下」にある。つまりキリスト者は信仰によって義とされ、義とされることによって、霊は命、つまり生きる者となった。キリスト者の霊は聖霊に従い、霊に属することを考え、聖霊の支配下にある。
  • パウロはキリスト者がいかなる存在かを色々な表現で語っている。キリスト者は肉の支配から霊の支配下に移った。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>キリスト者の内におられる。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>キリスト者である私は神から与えられる命に生きている。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝です。ロマ書はキリスト者とはどのような存在であるかを語っています。事柄が霊に属することなので、わかりにくさを覚えますが、理解することに喜びを覚えます。これを分かりやすく表現し、多くのキリスト者に伝えたいとの思いがあります。
  • これを一つの課題とし、ブログに書いていきたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
  • ロマ書を読み直し思いめぐらす。
  • キリスト者であるとはどういうことか、まとめ、ブログに書くことができるように祈る。

メモ

キリスト者は「霊にある」存在、「霊の支配下にある存在」。
霊に属することを考え、霊に従う。
罪は一つの力、勢力として人間に働きかける。
体の欲望、心の欲望に働きかけ、欲に従い罪を犯すように働きかける。
非キリスト者は、この罪の働きかけに負ける。だから人は罪の奴隷、罪の支配下にあると言われる。
人間の心は戦場である。肉の思いと霊の思いとの戦い。
キリスト者は霊の導きに従い、この戦いに勝利する。

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