2025年11月12日
(内容)
パウロは自分を過大に評価してはいけないと注意し、信仰の秤に従って慎み深く、自分のことを評価すべきと語る。
(黙想)
- 3節でパウロは自分を過大評価してはいけないと戒める。むしろ自分のことを慎み深く評価すべきたと語る。その際、「信仰の度合いに応じて」と理由を示す。この「度合い」という言葉はギリシャ語では「秤(はかり)」である。
12:3
私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。(口語訳)
- 物の重さを量れば秤の針は動いて数値を示す。重さが異なれば、異なる数値を指す。パウロは、自分の信仰を誇る人がいることを前提として自分を過大に評価してはいけないと諭す。信仰の強さ、弱さをはかる秤があるとは思わないが、時に信仰が浅い、深いなどと私たちは言う。秤は計ればはかられる物の数値を示す。自分の信仰も計れば、数値を示す。それ故、過大評価してはいけない。
- パウロはここで教会を持ち出す。我々はキリストを信じ、キリストに結ばれた者となる。キリストの体の部分となる。からだには色々な部分があるが、どの部分も大切であり、自分を他の部分よりすぐれた部分と誇ることは間違っている。どの部分もそれぞれの働きをするのであり、からだには必要である。神は一人一人に部分を割り当てる。
- 自分はある部分を割り当てられており、その部分としての役割を果たせばよい。自分は、与えられた役割を果たすのであって、それ以上のことをするわけではない。そこで思い上がって自分を誇ってはいけない。むしろ謙遜に、自分の役割を果たすことで満足し、また喜ぶべきである。
- 思い上がる人もいるが、自分の信仰を卑下する人もいる。人と自分を比較するのは、人間の性(さが)である。神によって自分も部分としての働きを割り当てられているので、その働きをなすなら、卑下する必要はない。
- パウロは思い上がることを警告する中で、教会とは何かを語る。キリスト者はキリストに結ばれた者と語る。このことは、人は自分のことをキリストとの結びつきの中で考えるべきであり、キリストとの結びつきなしに自分を考えることは、抽象的に自分を考えることを示している。そして人は迷いの森にさまようのではないか。自分が誰であり、自分は何をする者なのか、わからなくなる。自分探しをしても答えはない。
- パウロは、3節で自分を過大に評価してはいけないと語る。パウロはローマ教会のことを知っているわけではない。教会には自分を過大に評価する人が多かったのだろうか。
- 老いた信仰者としてパウロの戒めをどう思うか。僕は自分の信仰にはいつも足りないものがあると考えてきたので、自分の信仰を誇ることはできない。伝道については、新しい試みを色々行ってきたので、そのことを誇らしく思う気持ちはあるかもしれないが、誇るような実績を上げたわけではないので、自慢しようにも自慢はできない。今は、伝道の現場から離れ、老いたひとりの信仰者として生きている。神に受け入れられている自分をありのままに受け入れている。自分を誇らしく思うことも卑下することもない。今の自分が信仰者として生きていることを感謝している。
- 自分を他者と比較して悩んだこともある。その時は、タラントのたとえにより、タラントの大きな人は大きな責任を負うことを教えられ、人は自分のタラントに応じて生きればよいと知り、他者との比較をすることをやめた。自分を受け入れることができた。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>自分を過大に評価しないこと
- <勧め>自分はキリストの体の一部であり、それ以上でもそれ以下でもない。キリストのカラあの一部であると認識すれば、過大に評価することはなくなる。どの部分もみな必要な存在であり、そこにはすぐれた部分、劣った部分はない。どれもキリストの体に必要な大切な部分である。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。自分を過大に評価しないようにと警告を受けました。裏返して言えば、自分を卑下してはいけないとも読めます。人は他者と自分を比較しますから、優越感に陥ったり、劣等感に陥ったりします。パウロは、私たちはキリストの体に結ばれた者であり、各自はキリストの体の部分であり、優劣はないと教え、自分を過大に評価することを警告しました。
- 今の私は老いた信仰者であり、悩みを乗り越えてきました。その意味で、どのように悩みを乗り越えたのか、証しをすることはできます。ブログに書いてみたいと思います。今、老いたありのままの自分を受け入れることができていることを感謝します。今日は証しをブログに書くことを適用とします。イエス・キリストの御名により祈ります。
☆与えられた導き
- 証しをブログに書く。