2026年2月20日
(内容)
- イエスは18年も腰が曲がっている女性に目を留め癒やされた。またイエスを律法に背いたと批判する偽善者たちもいた。
(黙想)
- 会堂に腰が曲がり伸ばすことのできない女性がいた。イエスは彼女に目を留め、彼女を癒やされた。
- イエスは会堂の中に入り、すぐに彼女を目に留めることができた。会堂長は、彼女の存在を知っていただろう。彼女に対してどんな思いを持っていたのか。もし彼女のことを気の毒だと思っていたら、イエスの癒やしを喜んだのではないか。彼は彼女に無関心だった。彼女が癒やされてよかったと思うことはなかった。むしろ安息日にイエスが癒やしたということで、それを律法違反と考え、イエスを責めた。
- イエスは会堂長を偽善者と責めた。会堂長に、あなたは安息日に牛やロバに水を飲ませに引いていく。これは律法違反にならないかとイエスは指摘する。人は自分には甘く、他者には厳しい傾向がある。それは偽善であるとイエスは厳しく指摘する。反対者たちは皆恥じ入ったとある。イエスに対して敵対心を持つことはなかったとルカは指摘する。
- 苦しんでいる人をすぐに見つけて癒やすイエスの姿。他者のことは我関せずで、苦しむ人を癒やすイエスを律法違反としかみない会堂長。「反対者は皆」とあるので、会堂長に同調する人たちがいたことがわかる。苦しめる人を救おうとする神の働きを認めることができないことは残念なことである。
- 大事なことがある。それは自分は誰を見ているのか、である。自分しか見ていないのか。苦しんでいる他者を見ているのか。それによって神の御業を見ることができないし、神の御業を行う者を律法違反と責めたりする。この違いは大きい。
- 群衆は、イエスのなさったことを見て喜んでいる。イエスを信じるようになるのか否か。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>苦しむ人に目を留める方。いやしを与える方。
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>苦しむ人に目を留めること。
- <警告>自分中心に物事を考えないこと。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日の聖書には18年間も腰が曲がって苦しんでいる女性が登場しました。大変な苦労を味わっていることを知ります。イエスは彼女の目を留め、彼女を癒やし、その苦しみから救ってくださったことうれしく思います。
- 世界には、国家の政治体制により苦しんでいる人たちが多くいます。特に独裁指導者のいる国では、言論の自由がなく、政治批判が許されず、人々が苦しみを強いられている現実があります。
- 私は救い主ではなく、救いのみ手を伸ばすことはできません。無力を感じます。できることは人々の苦しみから目を背けず、祈ることと思います。先日テレビで、ロシアにおける政治弾圧の厳しさを紹介するドキュメンタリーを見ました。弾圧の現実を知ることができ、よかったと思いました。目をそらさない、そのことを心がけたいと思いました。そして弾圧の苦しみからの救いを祈りたいと思います。
☆与えられた導き
- ロシアにおける政治弾圧を覚えて祈る。