2020年8月19日
(内容)
- パウロのコリント教会ての手紙。パウロと兄弟ソステネが差出人となっている。パウロはコリントの教会の人たちを召されて聖なる者とされたと語る。
(黙想)
- パウロは自己紹介をする。神の御心によって召されて使徒となったと。聖書によれば、私たちもまた信仰によって生きるように神に招かれ、召されて信仰者となった。僕はさらに召され、福音を宣べ伝える者とされた。今、その働きからは隠退しているが。
- 信仰に生きるとは、自分が選択したことというより、神に招かれてのことである。そしてその招きに私たちが答え、私たちは信仰者とされた。神の招きがあったことを覚えよう。神の招きがある、言い換えると私の存在より前に神がおられる。エフェソ書によれば、神は世界の創造の前に、私たちを聖なる者、汚れのない者になるように定めたと言われる(エフェソ1:4)。
- 神の存在する証拠があるのかと人は言うかも知れない。聖書は神がいるかいないか、ということは語らない。別な語り方をする。つまり神はこのような方である、と語る。そして私たちに、そのような方をあなたは神と認め、信じるかと逆に問いかける。僕は、信仰に導かれ、福音を宣べ伝える者へと導かれた。このような僕の歩みは、神が存在する証拠であると僕は証しできる。私たちを信仰へと導き、み言葉をもって私たちを生かす神がおられることを証しすることができる。自分に言おう。神は確かにおられると。
- コリント教会の信仰者についてパウロは、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々と書く。召されて聖なる者とされた人々と書く。信仰者はイエス・キリストを信じ洗礼を受けた時点で、聖なる者とされている。これはクリスチャンのアイデンティティーである。クリスチャンは、聖なる者としての歩みを続け、より聖なる者となることを目指す。そして神の国に迎えられるとき、全く聖なる者へ変えられるのである。これがクリスチャンの歩む旅程となる。この旅程を知らないクリスチャンは多い。だから伝えたい。
- イエス・キリストは、コリント教会の人たちの主であり、私たちの主とパウロはいう。イエス・キリストはもちろん僕(ぼく)の主でもある。イエスが自分の主であることを僕は知っているのか。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とイエスは弟子たちに問うた。僕は「あなたはわたしの主です」と答えよう。「あなたは私をどのように主としているのか」という問いが次に来る。
- パウロは、コリント教会に恵みと平和を祈る。その恵みを与えるのは父なる神であり、御子イエス・キリストである。他者のために執り成しの祈りをすることがある。神からの恵みと平和があるように祈る、それである意味十分であると知る。具体的な課題をもつ人のために執り成すこともあるが、詳細を知らない場合には、恵みと平和を祈れば良いと教えられる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>父なる神はパウロを使徒となるように召し、また私たちを信仰者となるように招き、召す方である。
- <御父>父なる神は、私たちを聖なる者へと召される方である。
- <御父><御子>私たちに恵みと平和を与えてくださる方。
- <御子>わたしの主である方。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>信仰者になった私たちは聖なる者である。これがクリスチャンのアイデンティティーである。私たちはすでに聖なる者とされている。私たちは聖なる者にされているが、さらに聖なる者となるように努力をする。
(与えられた導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日は、あなたがお召しになる方であることが心に残りました。あなたはパウロを使徒へと招きました。あなたはキリスト・イエスを通して、人々を聖なる者となるように召される方です。そして私も信仰者へと召し出され、さらに福音を宣べ伝える者へと召されました。そして信仰者として、宣教者として今日まで歩んできました。この私の歩みは、あなたが存在している証拠と考えます。あなたは存在し、私を導き、私を生かしてくださいました。感謝です。「感謝だよね」と私は自分に語りたいと思います。神が存在する証拠として、証しの文章をブログに書きます。
- またあらためて聖なる者は、クリスチャンのアイデンティティであることを確認しました。クリスチャンになるということは、聖なる者とされたことを受け入れることであると知ります。クリスチャンは聖なるものであり、聖なる者としてこの世に生きることを多くの人に伝えたいと思います。以前もディボーションで、このことを自分の使命としたいと導かれました。神さま、さらに導いてください。
- 他者のために祈る時、神の恵みと平和があるようにと祈ればよいことを知りました。そのように祈っていますが、あらためて確認でき感謝です。
☆与えられた導き
- ブログに証しを書く。神の存在する証拠。
- 多くの人にクリスチャンは聖なる者であることを伝えるための導きを祈り求める。