マルコ福音書 14章27~31節 弟子たちのつまずき

2022年3月19日

(内容)

  • 主イエスは自分が捕らえられたときに弟子たちが御自分につまずくことを語られる。ペトロを初め、弟子たちは皆、つまずかないとイエスの言葉を否定する。

(黙想)

  • 先に主イエスがこの中に裏切る者がいると言われたとき、弟子たちは「まさかわたしのことでは」と心を痛めた。それはユダのことであり、ユダは食事の場を去ったと思われる。弟子たちは自分が裏切るものではないと分かったので安心したと思う。
  • ここで主イエスが「あなたがたは皆つまずく」と語られたとき、弟子たちは皆、つまずくことはないと否定した。この時、弟子たちは自分はつまずくかも知れないとの思いはもたなかった。安心した影響があるだろう。また弟子たちはまだ若いので、自分に自信を持っていたと思われる。自分の弱さ、頼りなさをまだ知らないのである。
  • その典型がペトロであり、彼は「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言い放った。イエスはそれに対して、ペトロが「わたしのことを知らないと言うだろう」と告げる。それに対してペトロはそんなことはないと断言する。そして他の弟子たちも同様である。
  • イエスは弟子たちの身に何が起きるかを知っていた。これはイエスが将来に起きることを知る予知能力があったと言うことなのか。それとも人間というものをよく知っていて、自分の弱さを知らない弟子たちが恐れに囚われて裏切ることになると予測できたということか。イエスは人間のことをよくご存じであったと理解したい。イエスによる救いとは、人間をよく知る神によって与えられる救いである。つまずくような弟子たちにも与えられる救いである。言い換えるとどんな人間をも救うのが神の救いである。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>御子は人間のことをよくご存じの方である。
  • <御子>自分が捕らえられたとき、弟子たちが恐れに囚われ、イエスを見捨てて逃げること、あるいはイエスのことを知らないと言うことを予測できた方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>自分に対して決してうぬぼれないこと。同時に神の救いは自分に対して効果があることを覚えること。神の救いは、どんな人間をも救う。例外となる人間はいない。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、今日はイエス様が人間のことをよくご存じであると知りました。突然恐れに囚われると人間は保身に走ることをイエス様はよくご存じであり、弟子たちがイエスを見捨てて逃げることをご存じでした。
  • 今、ウクライナへのロシアの軍事侵攻が始まり、ウクライナの大統領はよく頑張っていると思います。国を守るという覚悟を持っていることを知ります。国外に逃亡して身を守ることを考えていません。神の前に誠実に生きる人は、保身を避ける覚悟が必要であることを思います。イエス様の弟子たちは、イエス様が捕らえられたとき、つまずきました。保身に走りました。
  • 今、自分に必要な覚悟は何かと思います。思い浮かぶのは余命宣告を受けたとき、自分がどうするかです。保身に走ることはありませんが、うろたえたり、取り乱したりする可能性はあります。固く信仰に立ちたいです。御国への希望に立ち、信仰を持って受けとめることができることを願います。
  • 今日は、自分が余命宣告を受けたときどうなのか、自己問答をしてみたいと思います。また老人の思いとしてブログにも書いてみたいと思います。
☆与えられた導き
  • 覚悟について考える
  • 老人の思いをブログに書く

 

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