2022年3月21日
(内容)
- イエスは弟子たちと共にゲッセマネの園に来て祈られた。父なる神のみ心が行われるようにと祈られた。
(黙想)
- マタイ、マルコでは、イエスは、3人の弟子を伴い祈りの場に来たとき、「悲しみもだえ始めた」(マタイ)、「ひどく恐れてもだえ始め」(マルコ)。ルカはイエスが祈っているとき、「苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」と書く。
- イエスは「死ぬばかりに悲しい」という。「死ぬばかり」はその悲しみがどれほどのものなのか、悲しみの程度を語る。悲しみが尋常ではないことを示す。私たちも災害が起きて、大切な人を喪ったときに感じる悲しみは尋常のものではない。私たちも言葉では言い尽くせない悲しみを体験することはある。イエスもこれ以上ないほどの大きな、そして強い悲しみを経験している。イエスは何を悲しんでおられるのか。
- 自分が救い主として世に来たのに理解されず死んでしまうことを悲しむのか。つまり人々を罪から救うために世に来られたのに、理解されず、宗教指導者たちによって死に追いやられることを悲しんだのか。
- イエスは、もだえたとある。恐れや悲しみにとらわれ、自分でもどうしていいか分からない状態に陥っている。体全体で苦しんでいる。なぜこのようにもだえているのか。マタイではイエスは「悲しみもだえ」、マルコでは「恐れてもだえ」るのである。イエスは何を悲しみ、イエスの身に何が起きているのだろうか。
- イエスの死には意味がある。意義がある。イエスは意味のある死を死のうとしている。ここはその死を前にして祈る場面である。
- イエスの悲しみは、神の悲しみではないか。神に愛され、神によって造られた人間。自由を与えられた人間。その人間が罪を犯す。聖書には、神の前に犯す罪は裁かれなければならないとある。神は聖なる神であり、正しい神である。罪に対して神は怒り、罪を裁く。しかし神は愛の神であり、人間が罪を犯すとき、悲しまれる。
- 旧約聖書にはイスラエルの民の罪が描かれている。罪という過ちを教えられて悔い改めれば人間は罪を克服できるのか、といわれたらそうではないことを旧約聖書は告げている。人間は繰り返し罪を犯している。神は人間に自由を与え、人間の自由を重んじられる。預言者を送り悔い改めるように勧めた。しかし人々は悔い改めなかった。自分が愛し、造った人間が罪を犯し、罪の虜になっている。人間を造ったのは失敗だったのか。何で人間を造ってしまったのか。後悔の思いすら神にはあるかも知れない。しかし神は人間を救うために御子イエスを世に遣わした。
- 神の悲しみ、それは人間が罪を犯していることである。宗教指導者たちがイエスを死に追い込む。ここに人間の罪は極まる。この人間の罪を悲しむ神の悲しみ、これをイエスも悲しんでいるのではないか。死ぬばかりに悲しい。
- と同時にイエスはもだえた。悲しみにもだえ、恐れにもだえた。なぜもだえたのか。それはイエスの目前にある「苦しみ」のためである。それは十字架で処刑されるという物理的な苦しみではない。父なる神が自分の死を通して人間を罪から救う大いなる業を行おうとしていることをイエスは知っている。いったい父なる神は何をなさろうとしているのか。何をしたら人間は罪から解放され、神に対して誠実に、神を信頼して信仰に生きることができるのか。それはイエスには分からない。分からないが、神はそれをなそうとしている。何かとてつもなく苦しく恐ろしいことが待ち構えていることをイエスは思ったのではないか。それがもだえた原因であると思われる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>ゲッセマネの園で祈られるとき、恐れにもだえ、死ぬばかりに悲しいと言われた。
- <御子>神の前に罪を犯す人間のどうしようもない性(さが)に寄り添い、悲しむお方。
- <御子>自分が直面する死において、神が人間の救いのために御業を行うことを知っている。そのために自分は苦しみを味わうことを知って、もだえておられる。自分を待ち受けている苦しみがとてつもないことだけを予感し、もだえておられる。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>自分の罪を真剣に受けとめ、神が用意された救いをきちんと受けとめること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日は死ぬばかりに悲しいと言われたイエス様の悲しみについて思いめぐらし、それは神さまの悲しみではないかとの思いを与えられ感謝です。人間の罪を悲しむあなたは、どんな救いを与えようとされるのでしょうか。人間の罪を赦すだけの救いでしょうか。それではあなたの悲しみは終わりません。やはり人間が罪から解放され、罪に勝利して歩めるようにするのが神さまの救いですね。神さまの喜びが伝わってきます。
- 今日は、あなたが私たちの犯す罪を悲しんでおられることを心に留めます。
☆与えられた導き
- 神さまの悲しみを思いめぐらす