マルコ福音書 8章38節 神の言葉を誇る

2022年7月9日

(内容)

  • イエスとイエスの言葉を恥じる者を、イエスは終わりの日に恥じると言われる。

(黙想)

  • 「神に背いたこの罪深い時代」とイエスは言う。罪とは、まず第一に神に背くこと。神を認めないこと。たとい神を認めても神を神として崇めないこと。
  • イエスは律法を要約して、神を愛すること、自分のように隣人を愛することと語った。それゆえ第一の罪は神を愛さないこと、神を認めず、神として崇めないこと。神を愛さない者は必然的に隣人を愛さない。そして第二の罪を犯す。罪を問題にする時は、人は神との関係でどう生きているのかに目を向けなければならない。神を愛する者は、神を誇り、神の言葉を重んじ、これに従う。
  • イエスは父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共にこの世界においでになる。その時イエスは、イエスとイエスの言葉を恥じた者を恥じると言われる。人の死後の運命をイエスは語る。大事なのは、神の言葉に対する態度である。神の言葉を恥じる者をイエスは恥じる。イエスが恥じる者は神の国に迎えられるのかどうか。
  • パウロは、福音を恥じないと語った。恥じない、それは積極的に言えば「誇る」ことである。イエスとイエスの言葉を誇り、これによって生きることが大切である。
  • 8章31節以下の教えをまとめたのが、この38節の言葉である。十字架を背負って生きる、イエスの後に従う、イエスのため福音のために命を失う、それはイエスの言葉を恥じないで、むしろ誇りにして生きることを示している。
  • あらためて思う。キリスト者は終末を待ち望み、そこで何が起きるかを意識して生きることを。キリスト者にとって生きることは、肉体の死では終わらない。死んだ後何が起きるのかをわきまえるのがキリスト者である。最後の裁きは、人がいかに生きたかが問われる。神の言葉に従って生きることが人間にとって最も幸いな道である。
  • 生きている限り、聖書の言葉に親しみ、み言葉によって生きていこう。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>イエスとイエスの言葉を恥じる者を恥じる方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>イエスとイエスの言葉を誇りにして生きること
  • <教え>罪とは、第一に神に背くこと、神をないがしろにすること、神のことを思わず、人間のことを思うこと(8:33)。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。最近、聖書を読むと、罪とはあなたとの関係を認めないこと、あなたとの関係に真実に生きないことを示されることが多いような気がします。今の時代も、人間の罪が問題な時代であると知らされます。ヨーロッパの国々では、だいぶ以前から礼拝に出席する人が減少していると聞きます。
  • 人間があなたを信じなくても、罪の中にあることは間違いなく、人間は罪を犯して生きています。その罪が時に社会的に大きな影響を与える事件、出来事となります。そしてそれが罪に起因するとは理解されないことも多々あります。
  • 福音を宣べ伝えることはいつ、どこにおいても大切であることをあらためて感じます。それは地道になされるべきことですね。8月に説教奉仕の機会が与えられています。福音を宣べ伝えることができるように、またふさわしい説教テキストをあなたが示してくださるように祈り、取り組みます。また奉仕する教会のために祈ります。
☆与えられた導き
  • 説教奉仕にあたり、説教する聖書箇所が示されるように祈る。
  • 奉仕する教会のために祈る。

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