2022年7月21日
(内容)
- 山上の変貌の出来事の後、この出来事のことを人に話すなとイエスは弟子たちを戒めた。
(黙想)
- 8章31節でイエスは弟子たちに御自分が殺されることと三日目に復活することを話された。弟子たちは戸惑ったにちがいない。どう理解していいのか。ペトロはイエスを戒めたがイエスに叱られた。「あなたは神のことを思わず人のことを思っている」。
- そしてイエスは3人の弟子を連れて高い山に登った。そこで弟子たちは、不思議な経験をする。イエスがモーセとエリヤと話し合っているのを見た。そして今日の箇所で、イエスは見たことを人に話すなと語る。出来事の意味が分からないのに、その出来事を人に語ることに何の意味もない。人は不思議な体験をしゃべりたがる。しかしイエスは禁じた。
- イエスは12節で、御自分が苦しみ、辱めを受けることを弟子たちに伝える。しかも聖書に書かれているとさえ告げる。3人の弟子たちはイエスの身に大変なことが起こることは理解したと思う。でもその意味はまだ分からない。
- イエスの苦しみを預言したものとして詩編22,イザヤ53章が上げられる。旧約聖書はメシアの到来を待ち望んでいる。ただそのメシアは、苦しみを受けて殺されるのである。弟子たちはまだイエスの言葉を受けとめることはできていない。
- ではこの聖書を読む私たちは受けとめることができているのか。私たちは聖書からイエスの十字架の出来事を福音書で読み、使徒言行録で、使徒たちの説教からイエスの死をどう理解するのか教えられるし、パウロはロマ書でイエスの死と復活の意味についても語っている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>御自分が苦しみ辱めを受けると聖書に書いてあるのはなぜか、と問う方。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、主イエスは弟子たちに御自分の苦しみと死、そして復活について語られます。しかし弟子たちは受けとめることができないでいます。それは仕方ありませんね。でも私たちの手もとには新約聖書があり、礼拝で福音の説教を聞いています。
- 主イエスは、人の子が苦しみ、辱めを受けることが聖書に預言されているのはなぜか、と弟子たちに問いました。それは私たちにも向けられた問いです。自分はイエス・キリストの死と復活の意味をどう受けとめ、また信じているのか、問われる思いがします。
- 天の父なる神さま、今、牧師としての仕事からは退き、人生の最後の段階を生きています。福音に出会い、福音に生かされた恵みを少しでも伝えたいとの思いがあります。さらに福音の奥深さをなお知りたいと願います。福音を完全に分かっていると言える者ではありません。
- 天の父なる神さま、わたしの今日の歩みを導き支えてください。今日もロイドジョンズ牧師のロマ書の説教を読み、福音について学びたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
- ロイドジョンズ牧師のロマ書の説教を読む