2024年7月17日
(内容)
- 律法学者がイエスの弟子になりたいと願い、イエスにどこまでも従っていきますと語った。イエスは「人の子には枕するところがない」と語った。つまりイエスの弟子は一日の終わりに、くつろぎの時を持たないものであると告げた。
(黙想)
- イエスは多くの病人を癒やし、メシアとしての力を示された。それを見た律法学者が、イエスの弟子になりたいと願い、「どこへでも従っていきます」と語った。大胆な発言である。
- イエスは彼に「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕するところもない」と語られた。
- 狐にとっての穴、鳥にとっての巣、それは自分の帰る場所、そこは安心してゆっくりくつろげる安全な場所である。一日の働きを終えて、くつろぎ、体を休め、心をリラックスさせることのできる場所である。
- 人は昼間働き、夜は休む。それが普通の生活である。そのような生活の繰り返し、それが人々の生活である。
- しかしイエスの弟子の生活は違う。弟子は目的、目標を目指す歩みをする。安全、安心な場所を持たない覚悟が弟子には必要である。
- 別の弟子がイエスに「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と願った。父が死んだのなら、父を葬るのは子として当然のことである。しかしイエスは「私に従いなさい」と自分に従うことを優先した。イエスに従うことは他の何よりも優先することをイエスは教えた。
- 後にイエスは「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従いなさい」と教えている。
- 弟子は目的、目標を目指す歩みをする。イエスに従うことを何よりも優先する。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御子>枕するところを持たない方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>イエスの弟子は、イエスに従うという目標を持つ歩みをする。それは日常生活で行う様々なことより優先する。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父よ、今日もディボーションでき感謝です。主イエスの弟子とキリスト者は歩みは異なります。キリスト者は人生の日々を歩みます。それは日常生活と呼ばれます。一日の終わりには、枕する場所で休みます。夜枕し休むことは翌日の働きのため必要なことです。主イエスの弟子たちと私たちキリスト者の共通点は、目的を持つことです。キリスト者はいわゆる自己実現を目指すことはありません。キリストの弟子として生きるという道筋があります。後に私に従いたい者は自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従いなさいと教えています。これはキリスト者にも当てはまる主イエスの教えです。
- 老いの中にあって、私が意識していることは、キリスト者として自分は神の国を目指す旅をする者であることです。生きることが許されている人生の日々は、段々少なくなっていることを意識します。神の国を目指す旅として日々生きることが課題です。一つ大切なことは、御国に迎えられる日を待ち望んで生きることですね。
- 先日のデボーションで御国を目指す者であることを自覚できるように復活の主に祈り求めると適用を書きました。また先日は死を越える希望を歌う讃美歌をリストアップしました。これらの讃美歌を日々歌い、御国を目指す者であることを自覚する者になりたいです。導いてください。
☆与えられた導き
- 御国を目指す者として死を越える希望を歌う讃美歌を日々歌っていく。