2018年4月14日
(内容)
- 全身重い皮膚病にかかっている人がイエス様のもとに来ていやしを求めました。イエス様はその人を癒やされた後、「だれにも話してはいけない。行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりの清めの献げ物をするように」とお命じになりました。
- おそらくこの人は、自分の身に起きたことを人々に言い広めたと思われます。ますます多くの人々がイエス様のもとに集まってきましたが、イエス様は人里離れたところに退き、祈っておられました。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)13節。イエス様は憐れみ深い方です。「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と語った人を癒やされました。私たちはイエス様の憐れみにすがって祈り求めることができます。
- (御子)14節。御子は律法を重んじる方です。いやされた人に、行って祭司に体を見せ、清めの献げ物をし、病気が癒やされたことを人々に証明しなさいとの命令は、律法に書かれていることです。イエス様は律法を批判されたのではなく、律法主義を批判されました。マタイ福音書では、律法は成就されるべきことを教えておられます。
- (御子)16節。人里離れた場所に退いて、祈られる方です。ルカ福音書は、祈られる主イエスのお姿を描いています。ヨハネから洗礼を受けるとき、12使徒を選ぶとき、山上の変貌の出来事でも山で祈られています。
☆神が求める私たちの生き方
- (模範)12節。重い皮膚病の人は、イエス様にはおできになると信じて、病のいやしを求めています。イエス様はおできになるとの信頼を持って、イエス様に求めることは模範です。
- (模範)16節。イエス様は人里離れて祈られました。行動がすべてではありません。心を静めて神に祈ることも大切な信仰者のわざです。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、重い皮膚病の人にとっていやしは切なる願いでした。彼はイエス様の評判を聞き、そのイエス様が近くにいると知って、イエス様のもとに来ました。律法によれば、重い皮膚病の人は人前に出ることは許されません。彼らは隔離されていました。「わたしは汚れた者です。わたしは汚れた者です」と呼ばわらなければならないと律法に定められています。
- この病人は人々からなんで人前に出るのかと非難されるのを承知して、思い切ってイエス様のもとに行きました。この人は自分が、他の人々からは相手にされず、病気のゆえに忌み嫌われていることを知っていましたが、思い切ってイエス様のもとへ行きました。イエス様は、病気を癒やすことができるとの信仰を言い表しました。いやしを、遠慮しながら願いました。するとイエス様は彼を憐れみ、癒やされました。
- 天の父、私もあなたに信頼し、あなたにはおできになると信じ、あなたに願い求めたいと思います。私が立ち上げたサイトについて願います。このサイトを通して、ディボーションをする信徒、牧師が一人でも多く生まれることを願います。私はあなたの導きによってこのサイトを立ち上げました。あなたが用いてくださると信じます。
- この国(日本)で福音が広まるには、みことばには力があることの証しがなされなければなりません。みことばが人を本当に生かすという証しが必要です。世の中には色んな宗教があります。神頼みをするだけなら、どの宗教でも構わないでしょう。私たちの信仰は、神さまの言葉が人を生かすことを信じる信仰です。イエス様が悪魔に答えたように、人は神の口から出る言葉によって生きるものです。みことばによって生きる人が喜びと感謝を持ってなす証しが、人々の心を動かします。キリスト者は世間の他の人たちと同じ生活をします。同じ問題に直面し、悩み・苦労しながら歩みます。信仰者の幸いは、聖書、神の言葉があるということです。
- 天の父、ディボーションが広まり、証しの声がこの国に響き渡りますように。どうかあなたの選んだ人がこのサイトに出会い、ディボーションを始めるように。あなたの選んだ牧師がディボーションを行い、信徒たちに伝え、信徒を養い育てることができるように導いてください。
- イエス様は、人里離れたところへ退き祈られました。いつも買い物に行くスーパーの隣に公園があります。林があり、静かそうな所です。明日買い物に行くので、天気が良ければ、そこで今祈り求めたことをもう一度祈りたいと思います。
☆与えられた導き
- 明日静かな公園で祈る。