ルカ福音書 22章54~62節

2019年4月15日

(内容)

  • 弟子のペトロが三度イエス様を知らないと語ったこと、そして主イエスは振り向いてペトロを見つめられたこと、ペトロが激しく泣いたことが語られる。

(黙想)

  • マタイ、マルコでは、大祭司の家での裁判を記述しながら、ペトロの否認を語るが、ルカはペトロの否認と裁判を分けて記述している。ルカは、ゲッセマネの園で弟子たちがイエス様を見捨てて逃げたことを書いていない。弟子の裏切りをペトロに集中させて描いているみたいだ。
  • 暗闇の中、たき火に照らされたペトロの顔を見てある女中が「この人も一緒にいました」と言った。たき火に当たっていた人たちは、イエスについて話をしていたと思われる。だから「この人も一緒にいました」との言葉が女中の口から出たのではないか。
  • そこにペトロはいた。ペトロは人々がイエス様について話をしているのを聞いていたが、聞き流していたのではないか。しかし女中が「この人も一緒にいた」というのを聞いて、ペトロは不意を突かれた。そして「私はあの人を知らない」と思わず言ってしまった。不意を突かれ、恐れにとらわれ、イエス様を否認する言葉を言ってしまった。我々も自分を守るために、とっさに嘘をつくことがある。自分を守るという意識が働いている間は、嘘をついたとの自覚はない。自覚は、我に返ってから来る。
  • イエス様を否認する言葉を吐いたと自覚していないペトロはなおその場にいることができた。女中の言葉を聞いたその場にいた人たちは、いっせいにペトロに視線を向けたのではないか。ペトロをじろじろ観察にしたにちがいない。イエス様が神殿の境内で説教をしている時、弟子たちはイエス様のそばにいた。ペトロがそこにいたことを覚えている人がいたのだろう。「少したってから」。ほかの人が「お前もあの連中の仲間だ」と言った。
  • この時は「いや、そうではない」とペトロは語った。ごまかしの言葉である。間接的な否認の言葉。2回否認したら、自分が何をしたのか、自覚するのではないか。自分を守るために、イエス様のことを二度否認した。そのことは自覚できたのではないか。これ以上何か言われないためにその場を去ることができた。僕だったら去る。マタイ、マルコでは最初の女中の言葉に対して「知らない」と否認したペトロは出口の方に行ったと書いている。その場を去ろうとしたのである。でもルカ福音書では、ペトロに去る気配はない。イエス様のことが気になっていたのだろうか。
  • そして一時間ほどたった。すると別な人が「確かにこの人も一緒だった」と言った。この人はずっとペトロを観察していたのではないか。するとペトロは「あなたの言うことはわからない」と語った。これもごまかしの言葉。ペトロは一回しか「イエスのことを知らない」と語っていない。二回目、三回目は、ごまかす言葉を語った。ごまかしは、間接的なイエス様否定である。
  • 鶏が鳴いた時、イエス様は振り向きペトロを見つめられた。イエス様がペトロを見つめたことはルカだけが書く。イエス様はペトロに「立ち直ったら兄弟たちを力づけなさい」と語ったあと、ペトロの三度の否認を予告している。ペトロを見つめるイエス様の眼差しは、ペトロの否認を許し、兄弟たちを力づけるようにとの言葉を思い出させるものであったと思われる。ペトロを責める眼差しではないと思う。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)61節。イエス様は、自分のことを否認するという重大な罪を犯したペトロを憐れみの目で見るお方。
  • (御子)イエス様はペトロの否認をあらかじめ知っておられた方。
☆神が私たちに求められる生き方
  • (勧め)自分を守るために嘘をついたことに気づいた時は悔い改めること。とっさのことだから、といって自己弁護することはできない。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、とっさの時、自分を守るために嘘をつくことはよくあることです。自分を守るため熟慮の上、嘘をつくこともあります。これらのことは私たちの身にも起きることです。私もかって自分を守るために嘘をついたことがあります。忘れっぽい私ですが、そのことは覚えています。あなたの前に罪を犯したことなので忘れることはできません。でも罪を告白し、あなたから赦しをいただけたことは感謝でした。
  • あなたは「恐れるな」と語って下さる方です。私たちは嘘をついて自分を守る必要はありません。あなたの前に正直に生きることが大切だと信じます。
  • イエス様はペトロが裏切ることを知っておられ、立ち直ったら兄弟たちを力づけなさいとお命じになりました。イエス様は憐れみ深いお方であり、ペトロを許しておられます。ペトロは激しく泣きましたが、そこにはイエス様の憐れみに対する感謝の思いもあったと思います。
  • イエス様は私たちの罪の償いのために十字架でいのちを犠牲にされました。イエス様の愛に感謝し、イエス様をほめたたえます。今日は、主の贖いを覚え、讃美歌を歌い、主を讃えます。讃美歌136を賛美します。
☆与えられた導き
  • 主を賛美する。

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