2024年11月12日
(内容)
- 洗礼者ヨハネは、イエスが来るべき方はあなたなのか、と弟子たちを遣わしてイエスに尋ねさせた。イエスは、自分がしていることをヨハネに伝えよと返事をした。
(黙想)
- 洗礼者ヨハネは、イエスに洗礼を授け、この方こそ、聖霊と火で洗礼を授ける方であると語り、イエスこそ、神がお遣わしになった方であると語った。その後ヨハネは捕らえられた。牢の中にいるヨハネは、キリストのなさったことを聞いた。この福音書の著者マタイはここで「キリスト」のなさったことをヨハネは聞いたと書く。「イエス」のなさったことを聞いたとは書かない。主イエスはキリストであるとマタイは伝える。
- ヨハネは、イエスのなさったことを聞いた。しかしイエスが本当に来たるべき方であるかどうか、分からないでいた。ヨハネがイエスに洗礼を授けた時、ヨハネはこう言った。
マタイ 3:11~12
その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。
- イエスが行っていることはヨハネが思っていることとは違っていたのではないか。そこでイエスが来るべき方なのかどうか、ヨハネは自分の弟子たちを通して、イエスに尋ねた。そしてイエスは自分の行っていることを伝えた。信じるかどうかは、ヨハネにゆだねられる。イエスは自分はメシアだと正面から言うことはしない。自分の行っていることを伝え、最後に「わたしにつまずかない人は幸いである」と語った。イエスはヨハネに自分は何者かを考えるように促している。
- 信仰には二つの面がある。信仰は賜物であること、同時に、信じるとの自分の決断でもある。イエスはヨハネに決断を迫った。イエスは別な箇所で「あなたの信じた通りになるように」と語ったことがある。
- 僕もまた、ある意味迷いの中にある。信仰の世界は幻想だ、とささやく悪魔の声がある。僕の心にスキがある。それは自分が信じていることが絶対確かだと確信したいと考えることである。
- イエスはヨハネに、自分がメシアだとは言わない。自分が行っていることを伝え、イエスが来たるべき方であるかどうか、ヨハネに判断をゆだねる。信仰は賜物であり、同時に自分の決断でもある。
- 疑いがあるけどそれにも関わらず信じるという立場がある。これは信仰が賜物であることを軽く見ている。100%確信する信仰を賜物として求める立場。100%確信するということはありえるのか。疑いの余地なく信じることができるのはすばらしいと思うが、ありえるのか。
- 僕の立場は、信仰を賜物として求めるが、聖書からの学びを続けるという立場。聖書を学び、聖書が真理であると信じる心が、疑わないで信じる心を育てると考える。
- そして今の僕の課題は、神を崇めること、神の栄光を求めることにある。
- ウエストミンスター信仰告白を読んでみたい。まずは、解説書ではなく、信仰告白そのものを読んでみたい。この告白は、人生の目的は神の栄光を現すことと語る。
- 僕の今の問題は、究極的に自分は神を崇める信仰者になるか否かである。神を崇めるなら、サタンのもたらす疑いは消える。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>信仰的な決断をすることが大切。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、「来るべき方はあなたですか」とヨハネが主イエスに尋ねた時、主イエスは、ご自分がなさっていることを伝えました。判断はヨハネにゆだねました。「そうです」と主イエスが答えたとしたら、ヨハネは満足したのでしょうか。人は自分が納得することが大切ですから、「そうだ」と言われても疑問が生じれば、元の木阿弥になってしまいます。
- ヨハネは、主イエスの働きを聞き、それをどう判断するか、その信仰が問われます。私もある意味で、信仰が問われています。悪魔が、キリスト信仰は幻想だと言ってきます。
- 自分が確かだと信じることは大切ですが、自分の判断は、変わり得ることを忘れてはいけないと思います。自分の実感は変わり得るものなので、確かさの基準は別に持たなければなりません。そう考えれば、「聖書は真理である、聖書こそ、自分の生きる根拠である」と考えます。これについては、「草は枯れ、花は散る。しかし主の言葉は永遠に変わることがない」との聖書の言葉を私は大切にしてきました。ここに自分が立つか立たないか、それがポイントですね。
- 悪魔は、聖書に立って大丈夫なのかと語りかけます。疑いを持ってきます。悪魔は真理は持ってきません。あるいは真理なんかないと言います。私は真理はあると信じます。なければ、自分はどう生きていいか分かりません。。あらためて、聖書を真理とするか否か、老いの中で、もう一度決断の見直しというか、老いを経験した上で、今一度信仰的決断をすることが求められているように感じました。今回は、ウエストミンスター信仰告白を読み、それを読んだ上で、どう判断するのかを考えたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
- ウエストミンスター信仰告白を読む
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人生の目的は神をたたえることにある。悪魔は生きる意味について何も語らない。そんなものはないと語る。信仰は明確に生きる意味を語る。
信仰に立とう!疑いを捨てよう。