ルカ福音書 13章6~9節 悔い改めの実

2026年2月12日

(内容)

 裁きの日の来ないうちに悔い改めの実を結ぶように努力することが大切である。 

(黙想)

  • ある人がぶどう園にイチジクを植えていた。なぜイチジクの木を植えたのだろうか。旧約聖書を読むと神はぶどう園を造り、実を結ぶのを待ったがよい実を結ばなかったという話がある。
  • イエスはルカ21章で「イチジクの木」のたとえを語っている。葉が出れば夏が近いことがわかる。これらのことが起きれば、神の国が近づいていることを悟りなさいとイエスは語った。時のしるしを見分けるたとえの中でイチジクの木に言及している。このたとえでは、「イチジクの木や他のすべての木を見なさい」とあり、イチジクの木に特別な意味はない。
  • このたとえの中でイチジクの木を植えたのが誰かはわからない。おそらくぶどう園の主人と思われる。この人は3年イチジクの木が実らないことを確認している。来年も実らないだろうと考え、園丁にイチジクの木を切り倒すように命じる。
  • しかし園丁は、ぶどう園の主人の言うことにすぐには従わない。イチジクの木を惜しむのである。そして一年待ってくださいと願う。園丁は、木の周りを掘って肥やしをやるという。これまでなぜ、肥やしをやることを園丁はしなかったのか。園丁の怠慢が、イチジクの木の実らないことを招いたのか。園丁の作業に問題があったことには言及されない。イチジクの木は、普通肥やしをやらないらしい。園丁は、一年待って欲しいと願う。実らないイチジクの木に実よう手入れをするからと言う。
  • 神は、悔い改めを待つ方であることが示される。
  • イエスは人々が悔い改めるようにとこの世に来られた。悔い改めるのはユダヤ人である。神の民であるイスラエル、ユダヤ人である。神を信じる者たちの悔い改めをイエスは願っている。神を信じる者こそ、信仰のゆるみを悔い改めるのである。
  • 悔い改めとは、神を信じない異邦人が神に立ち帰ることだけを意味しない。神を信じれば悔い改めは終わるのではない。御心にかなう信仰者になるために、絶えず悔い改めが必要なのである。
  • イエスにとって御心にかなう信仰者とはどのような信仰者なのか。悔い改めの実を結ぶ人である。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>悔い改めの実を結ぶこと。
  • <勧め>悔い改めることがあるのか否か、確認する

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日は悔い改めること、そして悔い改めの実を結ぶべきことを教えられました。信仰者も悔い改めを必要とする人間です。罪を犯せば悔い改める必要があります。また神は、キリスト者が聖なる者、汚れのない者となることを望んでおられるので、この目標についても取り組みがおろそかであれば、それは悔い改めの対象となります。あらためて思うことは、信仰のさらなる高みを目指すべきことを思います。神の栄光を現す歩みです。神をたたえる歩みをすることです。これまでこの歩みをしてこなかったのかと言われたら、そんなことないと答えます。今よりもっと、この歩みを進めたいと思いました。
  • でも神さま、これをすれば神の栄光を現すことができるというのは、何かわざとらしいし、変な感じがします。演技であなたの栄光を現すことはできません。またあなたの栄光は見る目がなければ見えません。み前に誠実に歩む、これが私のできることです。ひとつには説教の準備を誠実に行い、聞き手に福音を伝えることができれば、栄光を現すことにつながると思います。
  • 悔い改めは、信仰者に常に必要なものであり、聖なる者を目指す歩みを続けていくことが大切です。
  • 説教の準備をかねて今日は、悔い改めについての黙想をします。
☆与えられた導き
  • 悔い改めについて黙想をする。

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