ルカ福音書 24章13~35節

2019年5月2日

(内容)

  • エマオ途上の二人の弟子に主イエスが現れ、主イエスはメシアが苦しみを受けられることを話されたこと、主イエスが彼らと食事を共にした時、二人の弟子はその人が主イエスだと分かったことなどが書かれている。

(黙想)

  • イエス様は二人の弟子たちがイエス様の復活を信じられないと語っていることに対して「心が鈍く、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち」と咎めた。預言者が語ったことが実現しているのだ。目の前に起きる出来事の意味が分からないことがある。自分たちが付き従っていた指導者であるイエス様が十字架で死んでしまう。何が起きたのか戸惑い、どうしていいか分からなくなる弟子たち。追い打ちをかけるように、イエス様は復活したとの知らせ。何が何だかわからない弟子たち。預言者たちが語ったことは実現する。これが聖書を貫く真理だ。心が鈍いとそれがわからない。聖書は、終末に起きることを預言していることを忘れてはならない。旧約も新約も。心が鈍くなることを警戒しなければならない。
  • 二人の弟子たちはイエス様の聖書の説き明かしを聞いていた時、心が燃えていたことを思い出した。聖書を知ることは本来、心ときめくことなのだ。心が燃えることなのだ。神のみ心、神の計画を知ることであり、そこに自分も関わっていることを知るのだから。聖書を読む時、心がときめいているのか、燃えているのか。
  • 二人の弟子たちは最初目が遮られていて、近づいてきたのが誰だか分からなかった。食事をした時、目が開け、イエス様だと分かったとある。自分の目は開けているのか、遮られているのか。どうなのだろう。目が開けていると分かることが目が遮られているとわからないのだ。他の信仰者の語っていることが理解できないことがあったら、それは目が遮られているからではないか。
  • 二人の弟子たちは、復活されたイエス様と出会った次第を他の弟子たちと分かち合った。分かち合うことの大切さを知る。分かち合ってこそ、互いに励まし合うこと、慰め合うことができる。今の教会には、信徒相互間の分かち合いが必要。そこに求道者を招く時、「まことに、神はあなたがたの内におられます」(コリント一14:25)が実現するのではないか。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)御子は二人の弟子に近づかれた方。私たちにも近づいてくださり、聖書を深く知るように導いてくださる方。
☆神が私たちに求める生き方
  • (警告)25節。預言者の言ったことを信じない態度は警戒しなければならない。信仰は、預言者の言葉を信じる。そもそも預言者とは、神の言葉を預かる者であり、神から預かった言葉を語る者である。新約聖書には、終末のことを語る言葉、預言の言葉があると言ってよい。
  • (勧め)35節。分かち合うことは大切である。信仰者は他の信仰者と共に生きる者。分かち合うことによって互いに励まし合うことができる。分かち合いを通して、神の導きを知ることもできる。
  • (警告)16、31節。自分の目が遮られているなら、目が開けるようになることを求めるべきだ。見えないのに見えるというところに罪がある、とイエス様は言われた。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、自分の目が遮られていることを恐れます。聖書が語ることについて、遮られていることを恐れます。そして私にとって曖昧な点が二つあることを思います。一つは聖霊について、もう一つはだれが信仰者かという問題です。この点について、取り組ませてください。今日は、ウェストミンスタ信仰告白から「有効召命」について学んでみたいと思います。
  • 昨日は、祈祷会で私の信仰による喜びを分かち合いました。これからも機会があれば分かち合う機会を与えてください。
  • 昨日のディボーションもそうでしたが、預言者の語ることを真剣に受けとめることをお知られました。特に私たちにとっては、聖書が語る終末を真剣に受けとめるべきことを教えられます。今日は今黙想しているコリント一13章12~13節を言語のギリシャ語で読み、黙想したいと思います。
☆与えられた導き
  • 有効召命について読む。
  • コリント書13章12~13節をギリシャ語で読む。

この記事を書いた人