マルコ福音書 12章18~27節 聖書と神の力

2022年10月4日

(内容)

  • 復活を信じていないサドカイ派の人々がイエスのもとにやってきて、質問をする。イエスを困らせようとしているのである。

(黙想)

申命記25:5~6
兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば、死んだ者の妻は家族以外の他の者に嫁いではならない。亡夫の兄弟が彼女のところに入り、めとって妻として、兄弟の義務を果たし、彼女の産んだ長子に死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルの中から絶えないようにしなければならない。

  • サドカイ派の人々は、この戒めを用いてイエスに尋ねる。長男が妻を迎えたが、跡継ぎを残さずに死んだ。二男がその女をめとったが跡継ぎを残さず死んだ。三男も同様であった。四男も、五男も、七男も跡継ぎを残さずに死んだ。復活の時、この女は、誰の妻になるでしょうか。
  • これに対して、イエスは、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしている」と答えられた。
  • 聖書知らないとはどういうことか。モーセが燃える柴を見に行ったとき、神が現れ、ご自身のことを「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と語ったことが聖書に書かれている。イエスはそのことに言及し、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだと語る。モーセの時代、アブラハムもイサクもヤコブも皆死んでいる。でも彼らの神であると神が言うからには、彼らは生きている、つまり復活しているとイエスは語る。
  • 我々が燃える柴の場面を聖書で読んだとき、この神の言葉をどう理解したか。僕は「わたしはアブラハムが信じた神、イサクが信じた神、ヤコブが信じた神である」と神が語ったと理解したと思う。「わたしはあなたたちの先祖が信じた神であり、わたしはイスラエルの民の神である」と神が語ったと理解する。この言葉から、イエスのように解釈はしないし、できない。しかしイエスはこの言葉をもって、アブラハムたちは今生きていると語り、死者は復活するのだと語る。恐らく、イエスの答えに、サドカイ派の人は納得しないだろう。
  • イエスと僕では、解釈が違う。これをどう受けとめるのか。僕の解釈は、極めて常識的なものである。イエスの解釈は独特である。こじつけに見える。イエスはこじつけたのか。イエスは本気だったのか。イエスは言う「あなたたちは聖書を知らない」。あなたは聖書を表面的にしか読んでいない、とイエスは僕に言うかも知れない。あの神の言葉に復活の可能性を認める、そういう読み方をしてみたいと思う。そうしないと聖書を自分の常識で読んでしまうかも知れない。
  • イエスはまた「あなたがたは神の力を知らない」と言われた。死者を復活させる神の力である。人は死者の復活を信じない。考えもしない。今までに見たことも経験したこともないことを人は簡単に信じることはできない。聖書がイエスの復活を語っていると言っても、聖書に書いてあるからと言っても、それが事実だと証明できないと人はいう。しかしキリストを信じる私たちは違う。死者からの復活について私たちが信じる根拠は、イエス・キリストの復活にある。
  • この復活をめぐる問答ではイエスの答えは相手に驚きを与えることはなかった。この聖書の箇所から何を読み取るのか。私たちに対する問いかけはある。「あなたたちは聖書も神の力も知らない」。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>あなたたちは聖書も神の力も知らないと言われる方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>聖書を知り、神の力を知るようにすること。人間の常識に囚われてはいけない。神の可能性、力については心を開かなければならない。聖書の言葉は、信仰の世界へ我々を招いている。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、「あなたたちは聖書も神の力も知らない」と主イエスは言われました。聖書に対して、あなたの力に対して、心を開くべきことを知らされます。人間の思いで聖書を解釈し、またあなたの力を小さく見てしまうことがあります。福音を学ぶときも、このような危険性があります。私たちを守ってください。
  • 「あなたは聖書も神の力も知らない」との警告の言葉を心に刻み、聖書を学んでいきたいと思います。メモ用紙に「あなたは聖書も神の力も知らない」と書いて目の前に貼っておきます。
☆与えられた導き
  • メモ用紙を目につくとろこに

 

 

 

 

 

 

 

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