2022年10月5日
(内容)
- ひとりの律法学者がイエスに「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と尋ね、イエスは、第一と、第二の掟が何かを答えられた。
(黙想)
- イエスは、神の掟の第一と第二を答えられた。神の掟はこの二つに集約されるといえる。神を愛することと隣人を愛することである。大事なことは、イエスが「私たちの神である主は、唯一の主である」と語られたことである。これは信仰の告白である。この告白があってこその戒めであり、戒めはこの告白が前提となる。これなしに、二つの戒めを掲げることは律法主義に陥る。
- イエスに尋ねた律法学者は、イエスの答えに対して、「おっしゃるとおりです」と語り、第一の戒めは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れていると答える。するとイエスは、「あなたは神の国から遠くない」と言われた。
- これはどういう意味なのか。戒めを知っていることと、戒めを行うことは別である。いくら知っていても行わなければ、戒めを知っていることはむなしい。しかし人間は知っているだけでこれを誇りとすることがある。律法学者はファリサイ派の人たちにはこの傾向があり、知っているだけで行わない彼らを偽善者とイエスが批判したことがある。イエスは、「あなたは神の国に近い」とは言わなかった。
- 神が唯一の主であることを知ることが大切である。単に知識として知るのではなく心から信じることが大切である。信仰の歩みの中で知っていくことが大切である。そうしないと全身全霊で神を愛することはできない。
- 神を愛することは、神が唯一の神であることを知るのに応じて深く愛することができるようになる。愛することにおいて、人は成長する。
- 私たちの神は唯一の主である。これはイスラエルだけでなく、キリスト者も同じである。神が自分を生かし、自分を支え、自分を救う方であり、この方に信頼して自分は生きる。これが自分に与えられた生き方。だから、この神を愛する。この神を信じる以外の生きる道は僕にはない。
- でも全身全霊で神を愛する、これが戒めである。しかし最初から、これを実践できる人はいない。人は神を愛することを学び、段々と全身全霊で愛することへと近づいていく。これが成長である。キリスト者が成長することを無視すると、この戒めは途方もない戒めとなる。成長することはあまり教えられていないような気がする。
(聖書の教え)
☆神はいかなる方か
- <御父>唯一の主なる神
☆神が私たちに求める生き方
- <命令>全身全霊を持って神を愛すること。
- <命令>自分を愛するように隣人を愛すること
- <教え>愛することにおいて成長することを知る。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、あなたの戒めについて教えられて感謝です。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてあなたを愛するとは、途方もない命令です。だから、愛することにおいて成長し、少しでも全身全霊であなたを愛することに近づけるようにしたいと思います。
- 今、私としては聖書に親しみ、祈り、こうしてあなたとの交わりを持っているのは、あなたを愛しているからです。あなたの御言葉を真理として大切に思っているからです。私として精一杯あなたを愛しているつもりですが、もちろん十分とは思っていません。最近思うことは詩編の作者の心です。あなたへの愛を感じます。その愛に学びたいと思わされています。気になっている詩編34からあなたへの愛を学びたいと思います。
☆与えられた導き
- 詩編34から神への愛を学ぶ