マルコ福音書13章24~27節 人の子の再臨

2022年11月1日

(内容)

  • イエスは、人の子として、大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って、この世界においでになる。

(黙想)

  • 人の子がこの世界に来るとき、苦難が終わり、天変地異が起こるとされる。これは人の子がおいでになることを示すしるしである。人々は人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを見る。これを見る人はどんな思いを抱くのか。キリスト者なら、大いなる喜びに満たされるであろう。信じなかった者は、嘆き悲しむのか。黙示録1章には、雲に乗ってこられる方を人々が見るとあり、地上の諸民族は嘆き悲しむとある。
  • 雲に乗ってこられた方は、地の果て天の果てから、ご自分が選んだ者たちを呼び集めるとある。マタイ福音書では、人の子は、すべての国の民を集め、裁きを行うことが書かれている。マルコの場合は裁きへの言及はない。しかし人の子が選んだ者が呼び集められるとあり、暗黙のうちに裁きは行われていると考えることはできる。イエスが選んだ者とイエスを信じた者は同一か。信仰生活は選びに対する応答であり、真剣な応答が求められる。
  • 地の果てとは、人の子が来られたときにこの地上に生きている者をさし、天の果てからとは、すでに地上での生を終えた者を指していると思われる。イエスによって選ばれた者はすべて呼び集められる。
  • マルコ福音書は、人の子が、ご自分が選んだ者たちを呼び集めてどうするのかは、書いていない。呼び集められることを書いて終わっている。終末のことは、これ以上語られない。終末のことは人間には知ることができない。しかし終末の来ることを知り、キリスト者としてそれに備えることは大切だ。つまり信仰を生き抜くことは大切だ。
  • イエスは無力な姿をさらし、惨めな姿で十字架につけられた。しかし大いなる力と栄光を帯びておいでになる。メシア、救い主ではっきりと誰の目にも見える形でおいでになる。
  • 終わりを見て生きる、キリスト者の生き方の特徴である。終わりを見ることによって、生き方が定まる。また終末に何が起きるのかが聖書に語られているので、そのことを意識することは大切となる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>世の終わりに再臨される方。
  • <御子>地の果て、天の果てからご自分が選ばれた者を呼び集める方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>人の子がおいでになることを受けとめ、自分の生き方を整えること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、主イエスの再臨について読みました。教会は主イエスの再臨を信じてきました。使徒信条は「かしこよりきたりて、生ける者と死ねる者とを裁きたまわん」と告白します。
  • イエス・キリストを信じる者として、人生の終わりの日まで、信仰者として歩んでいきたいと思います。主が与えてくださった救いの恵みをすべて受け取って歩み、主の救いに感謝して歩みたいと願います。
  • 天の父よ、福音とは何か、救いの恵みとは何か、聖書に学んでいますが、この学びを最後まで導いてくださるようにお願いします。そして本当に感謝の思いを持って再臨の主にお会いしたいと願います。学びを最後まで導いてください。
☆与えらえた導き
  • 祈りつつ、学びを続ける

 

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