2024年10月2日
(内容)
- 迫害の中にあっては、蛇のように賢く、鳩のように素直であるようにと教えられる。
(黙想)
- イエスは弟子たちを遣わすにあたり、注意事項を語る。16~23節は、イエスによって遣わされた弟子たちは、迫害を受けるとされる。それを踏まえた上での忠告がなされる。
- 蛇のように賢く、鳩のように素直であれ。これは自分がおかれた状況において、臨機応変に振る舞うべきことを教えられる。証言が求められる場合は、父の霊が語るべき言葉を与えてくださると教えられる。父なる神が弟子たちと共におられることを教えられる。
- 遣わされる弟子たちの歩みは決して順風満帆ではないことを覚悟しなければならない。
- 弟子たちにとって大切なことは、弟子は師のようであればよいと言われる。弟子たちにとっての師はイエスである。イエスの宣教は十字架の死で終わった。イエスは、父なる神に従順にその務めを果たされた。弟子たちはイエスに倣い、父なる神に従順に務めを果たせばよい。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か。
- <御父>弟子たちが捕らえられ、裁判の場で証言を求められる場合、弟子たちに語るべき言葉を与えてくださる方。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>蛇のように賢く、鳩のように素直であること
- <模範>弟子は師のようであればよい。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日もデボーションをすることができ感謝です。
- 私が牧師として歩んだ時代、迫害を受けることはありません。信教の自由が認められ、キリスト教の布教に対して妨げるものはなく、自由に宣教できました。そのことは感謝でした。でも宣教が効果を上げたかどうかは別の問題です。
- 主イエスの言葉、「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」をどのように受けとめたら良いのかと考えます。迫害の中にある時、素直であるとは、信仰に忠実であることを意味し、蛇のように賢くとは、迫害の中にあって、宣教を続けることができるように賢く振る舞うことを教えられます。
- また弟子は師のようであればよいと教えられました。主イエスは父なる神に従順に歩まれました。私は今は、一人の信徒として生きています。主に倣う者として歩むことを大切にしています。
- 主イエスは神の国は近づいたと語り、神の国に生きるように教えられました。私は歳をとりました。神の国の希望に生きる者でありたいと願います。神の国の到来を待望する信仰に歩みます。死を越える希望としての神の国を待ち望む者となります。導いてください。
- そのために、終末の到来に関する聖句を拾い出してみたいと思います。
☆与えられた導き
- 終末の到来に関する聖句を拾い出してみたいと思います。