ローマ 8章26~27節 聖霊の執り成しを求めて祈る

2024年10月18日

(内容)

  • 聖霊は弱い私たちのために執り成してくださる。苦しみの中にあって、どう祈るか分からない時も、聖霊は執り成してくださる。

(黙想)

  • 18節に、現在の苦しみは将来現される栄光に比べると取るに足りないとパウロは述べた。19節以降、その理由が述べられているが、この26~27節もまたその理由を示すものと解釈することができる。
  • 苦しみの中にある時、どう祈ったら良いのか、何を祈ったら良いのか、私たちは分からないことが多い。自分の苦しみを取り除いて欲しいという祈りは分かりやすい。その苦しみをただとり除くことが神の御心なのかどうか。大切なことは神の御心に生きることである。その苦しみが何のためにあるのか分からないと、どう祈っていいのか分からないことになる。
  • しかし聖霊が執り成してくださるとパウロは2回語る。
  • まず、私たちはどう祈っていいか分からなくても、聖霊が言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる。
  • 次に聖霊は神の御心に従って執り成してくださる。
  • 聖霊のうめきとはどういうものなのか、わからない。パウロはこれをどのように経験したのか。人の心を見抜く方とは、父なる神のことだろう。父なる神は霊の思いを知るし、霊は父なる神の御心に従って執り成してくださる。
  • 苦しみの中にあってどう祈るか分からない私たちのために聖霊は執り成してくださる。聖霊の執り成す働きは、どのようにして始まるのか。どう祈るか分からないがとにかく私たちが祈る時に、聖霊の執り成しは始まるのか。それともどう祈るか分からないままでいる私たちのために、つまり苦しんでいる私たちのために、聖霊が先手を取って執り成してくださるのか。
  • どう祈っていいか分からないとは、神の御心がどこにあるのか分からないことを意味するのではないか。苦しみの中にあって何を祈り求めるのか、何が神の御心であるのか分からないので、どう祈っていいのか分からない。でもそれは祈ることができないことを意味してはいない。どう祈っていいか分からなくても、自分の気持ちに正直に祈ることはできる。そこに御心を行ってくださいと付け加えれば、聖霊は執り成してくださるということではないか。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <聖霊>聖なる者たちのために執り成してくださる方である。聖なる者とはキリスト者のことである。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>苦しみの中にあっても自分の心をそのままたに祈ること。
  • <勧め>聖霊の執り成しを受けること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。聖書を私たちに与え、信仰に生きるように導いてくださるあなたを賛美します。今日は聖霊なる神が、私たちのために執り成してくださることをうれしく受けとめます。どのように祈ってよいのか分からないことがあります。
  • 現代の世界、当たり前のように戦争が行われています。自分の主張を正当化し、戦争を行う国があれば、戦力を誇示して自分の意向に相手を従わせようとする国もあります。そのような中で、多くの人命が失われていきます。空しさを悲しみの内に生きている人が沢山います。このような事態をどう受けとめたら良いのかと思います。あなたはこのような世界の現実をどう見ておられ、何をしておられるのかと考えますが、それは分かりません。一方であなたは神としてこの世界を支配しておられ、他方で、多くの人命が失われていく現実があり、キリストの平和が世界に満ちるようにとの信仰者の祈りがあります。
  • 信仰者としてどう祈ったら良いのか、分からないでいます。聖霊なる神が執り成してくださることを感謝します。そのことを信じて祈ります。
  • 父なる神さま、あなたの御名が全世界でたたえられますように。戦争が終結し、戦争によって失われる命がなくなりますように。そしてキリストの平和が地に満ちるように祈ります。現実には戦争が続き、命が失われ、平和が見えない状態にあります。忍耐をもって祈り続けたいと思います。天の父よ、あなたの御心が実現するようにと祈ります。
  • また老いの中にあって、心が色々うごめき、スキッと爽やかにならない現実があります。この事への聖霊の執り成しを願います。色々うごめく心情を祈り、聖霊の執り成しをお願いしたいと思います。
☆与えられた導き
  • 世界の現実、自分の老いの現実を思い、祈り、聖霊の執り成しを願う。

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