2025年1月31日
(内容)
- キリスト者は患難、迫害の中にあっても輝かしい勝利をおさめている。
(黙想)
- パウロは、神は私たちの味方であり、私たちに対して罪を咎めることはだれもできないと語る。それに加えて、誰がキリストの愛から私たちを引き離すことができるかと問う。答えは、誰も引き離すことはできないである。その時、患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣がキリストの愛から私たちを引き離すことができるかと問う。答えは否である。引き離すことができないである。なぜ引き離すことはできないのかは、明確には語られない。
- 5章では、キリスト者は苦難を誇るとある。苦難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す。そして希望は私たちを欺くことがないと語り、苦難の中にあってもキリスト者は希望に生きることができると語っている。苦難は、神の愛から私たちを引き離すことができないと語られている。
- 36節で引用されている詩編44編23節の言葉をどう理解するか。詩編44の前半は、神に対する信頼を歌っている。イスラエルは約束の地を得て住むことになった。それは自分たちの力によるのではなく、神の力によると神をたたえている。後半は、イスラエルは神に見捨てられたと語る。神に忠実に歩んでいるのに、なぜ見捨てるのか、なぜ黙ったおられるのかと抗議をしている。
- 神に見捨てられた自分たちの惨めな姿を23節では、
我らはあなたゆえに絶えることなく、
殺される者となり、
屠るための羊とみなされています。
- 35節にあるような患難、苦しみ、迫害、飢えなどの状況は神に見捨てられた状況に見える。このような状態について、詩編44:23を引用している。詩編の引用は、苦難、迫害の中にあるキリスト者の姿は、神に見捨てられた状況、神の愛から引き離された状況に見える。その状況を詩編を引用して語る。
- しかし37節では、これらすべてにおいて、私たちは輝かしい勝利を収めていると語る。だからキリストの愛から引き離されてはいないのだとパウロは語る。5章では、苦難の中にあって希望は私たちを裏切らないと書くが、この箇所では、私たちは勝利を収めると積極的な表現になっている。
- 苦難の中にあって忍耐し、希望を持ち続けることができるなら、それは勝利なのだろうか。迫害の中にあって、信仰を捨てず殉教するのは、信仰を貫いたのだから勝利なのだろうか。キリスト者が殉教で死んでしまう時、神の御支配があるのかどうか。神の御支配がなくキリスト者を助けることができないから、殉教者が生まれるのか。神の御支配があっても殉教で死ぬ人がいるのか。
- パウロは、どんな時も神の義支配があると信じている。それゆえ、どんな時もキリスト者は、神の御支配の中に生きることができる。苦難の中で屈しないで生きる、それは勝利だとパウロは言っているのだろうか。
- 現代、ウクライナ、ガザでの戦争が続いている。ガザでは今、休戦状態ではあるが、力の強い者が、自分の思いを貫こうとしている。それは神の御心とは思えない。神に御心を行ってくださいと祈っているが、御心を行っておられるのか否か、分からない。何が御心なのかもわからない。少なくとも自分が願うことは実現していない。争い、戦争が起こり、人類が分断化されていく現実の中にあって、罪の勢力が勝利しているように思えてならない。それでも神の御支配はあると信じ続けるのか。信じ続けるべきだから信じるのか。僕自身は、苦しみの状況に置かれているわけではない。
- キリスト者は苦しみの中にあっても、キリストの愛から切り離されることはないと信じるべきなのか。勝利を収めていると告白すべきなのか。パウロは、僕には届かない高みにいるように思える。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>信仰者が神に見捨てられたと思える状況は確かにある。詩篇44の引用はそのことを示している。
- <約束>そんな中にあっても私たちは輝かしい勝利をおさめている。
(神の導き)
☆祈り
☆与えられた導き
- 天の父なる神、パウロは、患難、苦難の中にあっても、あなたに見捨てられたように見える状況の中にあっても、輝かしい勝利を収めていると語ります。パウロの信仰に追いつけない自分を感じます。
- あなたの御支配を信じるから、キリスト者は勝利をおさめるはずだというのはやせ我慢をしているように思えます。あるいは建前に従って生きているように思えます。どうしてパウロは、輝かしい勝利をおさめていると言えるのでしょうか。教えてください。
- 18節で、現在の苦しみは将来わたしたちに現れるはずの栄光に比べると取るに足りないとパウロは語りました。現在の苦しみが取るに足りないことと輝かしい勝利を収めることは違うように思います。どうしてパウロは、輝かしい勝利をおさめていると言えるのでしょうか。教えてください。
- パウロの意図を教えてくださいと祈り求める。